あの日、初めてステージにたった時の、目の前に拡がった風景。
酷く、恐ろしかったのを覚えている。
たくさんの人の目が、私を凝視していたから。
この人たちに、私は自分の想いを、伝えなくてはいけない。
出来るのかな、私に?
結局、何も出来なかったのを覚えているけれど、あの風景は、今の私にとってとてもいい思い出になっている。
音楽は、演奏者だけじゃなく、聞き手と一緒に作っていくものだ。
目の前のお客さんから逃げていたら、この音楽は、誰にも届けられず、拾われず、静かに消えていくだけ。
この、何百人もの人たちがいるステージ、風景を、私は見渡す。
貴方を見つけて、思わず笑顔になってしまったのは、ここだけのお話。
「俺が地元に帰ったら、結婚しよう」
巷で言う、遠距離恋愛。
それでも、貴方は電話越しから、私を愛してくれた。
昨晩だって、そんな安っぽい言葉を私に投げかけてくれた。
すごく、嬉しかった。
いつになるかも分からない、遠い約束でも、私はずっと、貴方を待つと心から誓った。
でも、誓ったのは、私だけだったみたい。
貴方は、私が知らない土地で、知らない人と、一生の幸せを誓ったみたい。
貴方は私から、完全に遠ざかってしまった。
電話だけで繋がっていた遠い約束は、いとも簡単にちぎれてしまった。
それでも、私は小指に繋がっている赤い糸を、未だにちぎれないでいるのです。
糸の先には、誰もいないと言うのに。
「そろそろ、同じところから離れない?」
貴方は、長い間居座っているこの環境に、少し飽き飽きしているみたい。
「でも、新しいところは、何が起こるかわからないじゃない」
「私たち、ずっと同じところで経験値を貯め続けて、レベルも沢山あがったと思うの。ほら、もっとレベルを効率よくあげるなら、場所を変えなきゃ」
「言いたいことは、分かるんだけれど……もし、レベルが足りなかったら?」
「私たちのレベルなら、新しい地図を手に入れられると思うの。ずっと同じところにいても、物語は進まないよ?」
いつだって、貴方は冒険好きだった。
確かに、新しい地図を手に入れるための力を、私たちは持っているのかもしれない。
この環境に飽き飽きしていたのは、貴方だけではない。
「じゃあまずは、情報収集だね」
私がそう言ったら、貴方はすぐに目を輝かせて、元気よく返事をした。
新しい地図を手に入れるために、未知の世界へ旅立つために、私たちは準備を始めた。
「好きだよ」
1度は言われてみたかった言葉。
だから、みんなが好きそうな私を、演じた。
何だって、演じて見せた。
でも、あの言葉を聞くことなんてなかった。
その時、気づいた。
「私、誰かに好きだよって、言ったことあったっけ」
無いことは無い。でも、私は自分自身に対しては、1度も言ったことがなかった。
本当の自分は見失ってしまったけれど、絶対、心の中のどこかにいる自分に、叫んでみる。
『好きだよ』
桜のように、儚くなれたらと思う。
「なんで?」
「そうすれば、みんな、大切にしてくれるから」
貴方の目も見ずに、私は桜を見上げながら言った。
1年の短いうちしか咲かない桜は、咲いている姿も、散っていく姿も美しい、と思う。
でもそれは、この桜の人生は短いものだと、儚いものだと知っているから。
「貴方の言う皆が、貴方を大切にしなくても、私が貴方を大切にする」
私は貴方の顔を、見つめた。
貴方の顔は、声は、言葉は、こんなにも、頼もしくて、凛々しいのに。
桜のように、美しいのに。
「それじゃ、駄目かな?」
なんで私は、こんなに弱いんだろう。
桜のように、儚くなりたかったのに、桜は私の想像以上に強くて、頼もしくて。
「駄目なわけ、ない」
私の顔は、声は、言葉は、頼りなくて、臆病で。
そんな私の目から流れ出る涙を、私の口から溢れ落ちる言葉を、今まで何度も、貴方は優しく拾い上げてくれた。
「貴方みたいな、桜になりたい」
咲いている姿も、散っていく姿も美しい。
そんな桜に、なりたい。