「そろそろ、同じところから離れない?」
貴方は、長い間居座っているこの環境に、少し飽き飽きしているみたい。
「でも、新しいところは、何が起こるかわからないじゃない」
「私たち、ずっと同じところで経験値を貯め続けて、レベルも沢山あがったと思うの。ほら、もっとレベルを効率よくあげるなら、場所を変えなきゃ」
「言いたいことは、分かるんだけれど……もし、レベルが足りなかったら?」
「私たちのレベルなら、新しい地図を手に入れられると思うの。ずっと同じところにいても、物語は進まないよ?」
いつだって、貴方は冒険好きだった。
確かに、新しい地図を手に入れるための力を、私たちは持っているのかもしれない。
この環境に飽き飽きしていたのは、貴方だけではない。
「じゃあまずは、情報収集だね」
私がそう言ったら、貴方はすぐに目を輝かせて、元気よく返事をした。
新しい地図を手に入れるために、未知の世界へ旅立つために、私たちは準備を始めた。
「好きだよ」
1度は言われてみたかった言葉。
だから、みんなが好きそうな私を、演じた。
何だって、演じて見せた。
でも、あの言葉を聞くことなんてなかった。
その時、気づいた。
「私、誰かに好きだよって、言ったことあったっけ」
無いことは無い。でも、私は自分自身に対しては、1度も言ったことがなかった。
本当の自分は見失ってしまったけれど、絶対、心の中のどこかにいる自分に、叫んでみる。
『好きだよ』
桜のように、儚くなれたらと思う。
「なんで?」
「そうすれば、みんな、大切にしてくれるから」
貴方の目も見ずに、私は桜を見上げながら言った。
1年の短いうちしか咲かない桜は、咲いている姿も、散っていく姿も美しい、と思う。
でもそれは、この桜の人生は短いものだと、儚いものだと知っているから。
「貴方の言う皆が、貴方を大切にしなくても、私が貴方を大切にする」
私は貴方の顔を、見つめた。
貴方の顔は、声は、言葉は、こんなにも、頼もしくて、凛々しいのに。
桜のように、美しいのに。
「それじゃ、駄目かな?」
なんで私は、こんなに弱いんだろう。
桜のように、儚くなりたかったのに、桜は私の想像以上に強くて、頼もしくて。
「駄目なわけ、ない」
私の顔は、声は、言葉は、頼りなくて、臆病で。
そんな私の目から流れ出る涙を、私の口から溢れ落ちる言葉を、今まで何度も、貴方は優しく拾い上げてくれた。
「貴方みたいな、桜になりたい」
咲いている姿も、散っていく姿も美しい。
そんな桜に、なりたい。
空に向かって、呟いてみる。
「空の向こうには、どんな世界が広がってるのかな」
まだ、自分のいる世界すらまともに知らなかったあの頃の私は、たくさんの妄想を描いていた。
空の上には、ユニコーンやドラゴンみたいな珍獣がいて、争い事は一切なく、みんなで楽しく鬼ごっこをしたり、昼寝をしたり、歌を歌ったり……
そんな世界を、想像していた。
今の私は、どうだろうか。
「こんな世界よりも、幸せな場所だったらいいな」
争い事がない、優しい世界。
具体的にどんな世界かなんて分からない。
もう、考えられない。
行ってみれば、分かるでしょう。
記憶は時に、栄養となり、毒となる。
「寝る前に嫌なことがフラッシュバックするのは、なんなんだろうね」
「多分、その時傷ついた部分が、後になって痛みとしてやってきてるんじゃない?」
「時差が発生してるのね」
「ただの憶測だけれどね」
「もう、嫌な事なんか忘れて、嬉しかったことだけ覚えていたいな」
「多分、嫌な記憶も、量を間違えなければ栄養になるんだと思うの。致死量を摂取してしまったら、体中に毒が回ってしまうけれど」
「その一つ一つが、猛毒性が高かったら?」
「その人の耐性によるけれど、ほとんどの人は、毒にやられてしまうかもね」
記憶という毒は、表に現れず、ゆっくりと体を蝕んでいく。