「あなたは誰?」
嘘だと思ってた。貴方は神様から、記憶を奪われてしまったって。
家族のことも、自分のこともある程度は覚えているのに、私と共にすごした学校生活のことだけ、ぽっかりと忘れてしまっているらしい。
でも、それはもしかしたら貴方にとっては、思い出したくもない、忘れても良かった思い出かもしれない。
だから、私は泣かないし、貴方の前で悲しい顔もしない。
また、最初からやり直そう。
「こんにちは、よかったら私と、友達にならない?」
虐められていた貴方、それを止められなかった私。
ある日、貴方は屋上から飛び降りた。
一命は取りとりとめたけれど、学校で過ごしていた貴方という存在は死んでしまった。
でも、きっとそれでよかった。
貴方はそれを望んでいた。
「うん、ちょうど、暇してたの」
そういう貴方の手には、昔っから何度も読み返してた小説が握られていた。
「名前は?あなたは、誰?」
もう一度、貴方は私に問う。
私は、少しカッコつけるように、あの時の、貴方に初めて話しかけた時とおなじ自己紹介をした。
「その小説の、著者です」
幼少期の頃、一緒の病室で入院してた友達からもらった手紙。
部活の先輩、後輩から貰った手紙。
当時親友と呼びあってた同級生から貰ったハガキ。
たまに忘れてしまいそうになる、かつて一緒に過ごしてた人達の存在を。
当時は嫌いだったはずなのに、また会いたいなんて身勝手なことを思ってしまう。
だから、手紙の行方は、私の心の中に。
大人になればなるほど、言いにくくなる言葉ってなーんだ。
『ありがとう』
今日、久々に学校を休んだ。
なんとなく、だるくて、やる気が出なかったから。
毎朝そうだったけど、今日は本当に休みたかった。
親にそのことを伝えるために、小さな勇気が必要だった。
よかった、伝わって。
小さな勇気に裏切られると、大きな傷が残るけれど、成功した時は、心は大きく癒される。
「ねぇ、あの話書き終わった?」
小説を書くのが趣味な貴方。貴方はこの前、力作が出来そうと、目を輝かせ声を弾ませていた。
「実は、まだ」
貴方は、ただそれだけ言った。でも、どこか悩んでいるようにも見えた。
「へぇ、 なにか行き詰ってるの?」
「うぅん、話の構成もオチも決まってるし、あとは書くだけなの」
「じゃあ、ほぼ完成してるようなもんじゃない」
私がそう言っても、貴方はまだ浮かない顔をしている。私は貴方の返事をゆっくり待った。
お月様が、夜の海を無機質に泳いでいる。その周りにはキラキラ光る深海魚たちもいる。星座に詳しくないけれど、オリオン座がある事だけわかる。でも、無数に光るそれらは、冬でしか味わえない儚さを感じさせる。
すると、貴方はいきなり口を開いた。
「この物語を、終わらせたくないの」
「終わらせたくない、って?」
「最近の楽しみが、この物語を書くこと、考えることだったのに、こんなあっさり終わらせていいのかなって」
それを聞いた時、あぁ、貴方っぽいなと思った。
物語の終わりは、貴方にとって生きる意味を失うことになるのかもしれない。
「この物語は、私が死ぬまで終わらない物語にしたいの」
誰にも読まれなくたっていい。と、貴方はよく口癖のように言っていた。小説を書くのは、自分を見つけるためであって、他人に見せるためではないと。
もしかしたら、見つかりそうなのかな。なんて、思っても見るけれど、きっとまだまだ時間はかかるだろう。
それを私は、こうやって静かに見守り続けていこうと、静かに決心した。