特別な存在
特別な存在、今そう思えるのは両親だろう。親の喜ぶ姿を見れるだけで、幸せに思える。両親が健全だった頃は、そうは思わなかった。
結婚もしないで自分勝手に生きてきて、心配をかけっぱなしだったと思う。小言も言われてむかついた時もあったが、今は両親がいることで、家族のありがたみが分かった。
兄弟もいるがそれぞれ家族がいる。年に2回集まるが、両親がいなくなったらどうなるだろう。1人でいるのは好きだが、ずっと顔を合わせなくなるのも寂しいと思う。
昔の友人とも交友が無くなって、十数年経っている。親友と呼べる存在はいない。自分で心を閉ざしていたのも、原因だとわかっている。人付き合いは今も煩わしいと思っている。
自分にとって、都合のいい存在なんているわけもない。だから恋人と上手くいくわけもなく、長続きしない。心に余裕がないから焦って、無様なところを見せてしまう。
そういう自分を受け入れて、相手の気持ちになって考えることができたなら、新しい特別な存在ができるのかもしれない。
バカみたい
一生懸命、真面目に生きているのが、バカみたいに思える時がある。真面目に仕事をしているのに、適当にやっている人が、上司ウケが良くて出世したり、裏で人のことを貶している人がモテる。
確かに真面目で面白みもない人と、一緒にいても楽しくもないし、冗談や場を盛り上げることもできないと一緒にいても面白くもないと思う。
タガを外して、バカみたいに楽しむことができれば、どんなにいいだろう。今思えば、二十代までにハメを外しておけばよかったと後悔している。
でも若いうちにできることは、若いうちにやればいいと若い子に言うと、おじさんが小言を言っているふうになるので、やらないよう気をつけている。
真剣に仕事を教えているのに、適当に聞いているのを見ると、教えている自分がバカみたいに思える。そう言う時は気持ちを切り替えて、ミスをした時に指摘すればいいと割り切ることにした。
今は何かをするにしても、ほどほどにするを心がけている。真剣にすればするほど、自分がすり減るだけだと気づいた。いい加減じゃなく、良い加減。程よくすることが重要だと思う。
これからの人生は良い加減で送りたいと思う。
2人ぼっち
2人ぼっち、私にはもう1人の自分がいる。私がやろうとすると、もう1人の自分が否定的なことを言って止めにくる。私の頭の中で2人の意見がぶつかり合って、結局何もしないことを選んでしまう。
心の中にいる、天使と悪魔みたいな存在だ。どちらが正しくて、どちらが間違っているか。そのときどきで変わってくる。
買い物の時は、欲しい、必要ない。この攻防が頭の中で繰り広げている。迷っている時は基本ろくなことがないので、保留にしてそれでも欲しいと思った時は、買うことにしている。
私は基本直感的な行動の方が上手くいくことが多い。論理的に考えると、時間が経ち過ぎて意欲が失われる。そして、断念してしまう。
頭の中の2人が一致することはなく、妥協案もない。歳を重ねるほど、論理的な自分の意見が多く選ばれる。直感的なもう1人の自分は、押されっぱなしだ。
経験が増えることはいいことだが、新しいことをするときは、邪魔な存在になる。ある程度予測がついてしない方を選ぶ。失敗を恐れているのかもしれない。
2人の力関係がもう少し均衡してくれれば、人生が楽しくなると思う。
夢が覚める前に
夢のような時間を過ごした記憶は、だいぶ前になる。ただ一緒にいるだけで、幸せな気分になる。そんな人が、かつて私にはいた。後にも先にもその人だけだった。
人見知りの私にとって、ずっと話していても飽きないくらい、話しやすかった人。隣にいても緊張することもないし、安らぎを与えてくれた人。そんなひと時がどんなに大事だったか、今は痛いほどわかる。
私が一緒にいたいと思う人は、男女問わず数人しかいない。普段は隣に人がいるだけでも不快だし、たくさんの人混みの中にいれば、気分が悪くなる。
そんな人がまた現れたら、至福のような夢が続いてほしいと思う。いい大人が恥ずかしげもなく、このように思えるのは、両親の介護の影響もあるだろう。
人は1人では生きてはいけないことを、介護を通じて教えられた。老いていく両親を見ると、支え合って生きていくことが、どんなことよりも心の支えになる。
夢が覚める前に、至福の時間を大切に守り続けていく。私が思う最高の人生を送るために。
胸が高鳴る
私が胸が高鳴るのは、日本代表のスポーツの試合を見た時が多い。サッカーのワールドカップや、WBCなどがそうだろう。
ワールドカップは日韓の大会の時が、一番印象に残っている。あの時の興奮は今でも忘れられない。あの時、日本代表があんなに活躍するとは思わなかった。
日本のサッカーは、その以前までは今ほど強くなかった。世界の中でも下位に位置していた。それが今は世界のトップクラスと互角に渡り合えるほど、強くなった。
強豪国と戦って得点を入れた時は、握り拳をあげて唸ってしまうほど、感情が昂ってしまう。勝った時は夜、眠れなくなるくらい興奮が抑えられなくなる。
だから今回のWBCの試合が、地上波で放映されなかったのは、残念だった。生中継で見ないとあのワクワク感、ドキドキ感は味わえない。結果を見ても何も感じない。
ワールドカップは地上波で放映してほしい。胸の高鳴りをみんなで共有した方が、何倍にも感じることができる。日本に一体感が生まれ明るくなると思う。
日本のいい試合を見て、胸が高鳴るのをまた味わいたいと期待したい。