床にビー玉を置くと、のろのろと部屋の隅に転がっていく。初めての一人暮らしは、そんなボロ部屋からだった。
4畳ワンルーム、しかもL字型の部屋だったためにベッドフレームが入らず、仕方なく布団を床に敷いて直寝していた。
欠陥住宅は何かと体調に支障をきたすのだそうで、案の定精神を病んだ。常に目が回っているような感覚と、まとまらない思考。元に戻る方法が分からず仕事を辞めて引っ越した途端、全てが上手くいくようになった。
唯一あの部屋で良かった点は、二面採光だったことだ。部屋は毎日明るくて、それだけは心地よかった。部屋の床が白かったので、光をさらに反射していたのも功を奏していた。
傾いてはいたが、狭いなりに少しでも居心地良くしようと工夫された部屋だったのかもしれない。
最近久しぶりに、そのボロ家の賃貸情報を調べてみたところ、中がきれいにリフォームされていた。
何かあったのかもしれない。
カンダヨシノリという人物に注目する。人にもモノにも、とにかく周囲のことに興味が持てないという、生きていくうえで致命傷とも言える欠陥を彼はもっていた。ただ、物書きをしている間だけは自他の心の動きや出来事を思い出そうと記憶を観察していることに気づいた。彼にとってモノを書くことは救いの糸であったのだ。
観察者としての眼を意識の外に置く習慣のついたカンダは、周りを俯瞰して動けるようになった。グループでの会話は流れを大切にし、仕事はゴールから逆算する。計画を綿密に立てたり過程を重視するのはやめ、突然のトラブルにも対応できる柔軟性を身に着けた。
ある日カンダは同期の人間からサイコパスと揶揄されてしまう。機械的に人との付き合いを処理しているように見えるのだと。事実、人やモノに興味のあるカンダの眼は彼自身の意識の外にあり、鋭い指摘だった。
離人症のような観察者の眼が自分の身体と一つになれば、真人間になれるのではないか。だが、そうなると周りに興味を持てない本来の自分は何処に行くのか。救いだと感じた物書きも、その筆を取った時点で2人の自分になる呪いだったのだと後悔しつつあった。
(気が向いたら続く)
失敗と残業続きで周囲の変化に鈍感になってきた頃、梅雨が始まった。傘を差さなければびしょ濡れになるため、否が応でも意識を現実に引き戻される。
耳を澄まし雨の音に集中すると、少し心が和らいだ。この勢いで五感に身を任せて体と心を回復させたいところである。
あたりを見回すと黄色い看板のネパールカレー屋が目についた。梅雨の時期はスパイスカレーを食べると良いらしい。この雨の中でも漂ってくる最高に食欲を唆る香りに吸い寄せられ、迷わず入店した。
スーツにスパイスの香りが染み付き、次の日の朝焦ることになるのはまた別の話。
自分を捨てられない者は苦しむ羽目になる。