今、正に逃れられない。
ベッドに転がって、スマホをいじりたいという誘惑!
今日こそはやらない!!と心に固く決意したってさ。
目の前にベッドが現れた瞬間、アッサリ簡単にへし折られるんだもんなぁ。
何かもう逃げなくてもいい気がするよね。
#逃れられない
「また明日」という言葉、なんて事なしにますよね。
実際、私も「また明日ね〜」とサラッと同僚に言うし、明日の自分にタスクをぶん投げる事はしょっちゅうあります。
「明日の私、信じてるぞファイトー!!」ってな感じで。
しかしね、その「明日」が来る100%の確信なんてない。
明日どころか、次の10分後だって自分が存在していられる保証はないんです。
「そんなバカな」と思いますか?
正直、私はちょっと思います。
昔は鼻で笑ってました。
「はいはい、意識高くて結構ですねぇ」って嫌味なコメントつけて。
しかし、父親が心臓病を患い、五年後の生存率が三割と告げられてから。
少しずつですが、明確に変わりました。
次の瞬間には止まるかもしれない心臓。
布団に入って、翌朝には失われているかもしれない生命。
そんな自分自身と向き合って、本当に大切なもの、本当にやりたい事だけを選び続けている父。
誰よりも父の側で、悲しみと不安を抱えながら、それでも寄り添い生きる母。
そんな様子を横目で見つめてきて、次第に
「今この時間、この生命は当然に与えられるものでは無い」
という感覚が、馴染んでいった感じがします。
「また明日」を、当たり前にしない。
両親からもらった、大事な教訓のひとつです。
#また明日
大事な子達との別れは、いつだって突然でした。
ひとりは、話があると親に呼ばれ、行った先で冷たくなっていた。
後から、車に轢かれて、虫の息のまま家まで帰ってきたと聞かされた。
人生で、あれだけ声をあげて泣いたのは一度きり。
ひとりは、学校から帰ってきたら姿が無くて、夜まで探し回ったけど見つからなくて。
疲れ切って家に帰ったら、亡くなったと告げられた。
愛用していたぬいぐるみは、今でもずっと残っている。
ひとりは、歯科手術の後に白血病を発症。手立ては無いと言われてどんどん弱っていった。
ある日の早朝、寝床の母に挨拶をして静かに家を出ていったそう。
あれから10年、どれだけ待っても帰ってくる事はない。
そして最後のひとり、私の大事な娘は、連休明けの朝にご近所の庭で見つかった。
眠っているようだ、ぬいぐるみみたいと先生には言われた。
私のせいだ、休みのうちに病院に連れて行ってあげていれば。
あの時の後悔を、忘れる事はきっとない。
彼等の他にも、数えきれない猫達との出会いと、別れがあった人生です。
ヒトより断然短い生を全うする姿は、
「生命は必ず終わる」
その絶対の事実をいつも胸に刻んでいってくれた。
出会ってからの全ての日々が宝物で、別れ方も大切な思い出になるんです。
例えそれが、耐え難い痛みを伴うとしても。
彼等との大切な時間は、動物医療の現場で働く原動力になっています。
ごめんね、はもう言わない。
いつかまた会えたなら、ただ「ありがとう」「愛してるよ」と伝えたい。
そして、全身全霊を込めてナデナデヨシヨシさせて頂きたい!
お前らの腹枕が最高だったんだよ!!
#突然の別れ
そんな素敵なものなんてありませんよ。
ただ、大学時代に好きだった人の事はよく覚えています。
並んで芝生に寝転んで、夜空いっぱいの花火を見た夜。
横顔から目が離せなくて、不思議な体験でした。
その事を友人に話した時に、ふと「あの時なら、好きって言えた気がする」と口にしました。
友人は「切ないけど、それが恋だよ」と返してくれて、あぁそうなのかと。
他人事のように受け取る自分を、少しさみしく思いました。
今彼はどうしているだろう。
あの頃と変わらず、元気に笑っていてくれると良いな。
#恋物語
近所にあるファミレスは午前0時、真夜中まで営業している。
気分良く作業していると、いつの間にか閉店ギリギリになってしまう。
馴染みの店員さんに見送られて、店の外に出る。
目の前は真っ黒な空に、電灯の灯りがチラホラ灯っていた。脇の道路を走る車も無く、歩く人影もほぼない。人の気配、生活の音が一切しない世界。
私が一番好きな時間だ。
海の凪のような、しんとした雰囲気に、肩の力がすっと抜けていった。
空気を鼻から大きく吸い込んで、そっと口から吐き出す。
この静かな世界にさざなみを立てないよう、家へと歩き出した。
#真夜中