心を心で語り合う、コミュニケーションの理想ですよね。
子供の頃は、そんな事は当たり前だと思ってました。
「大好き」と言えば「私も」と返してもらえて。
「嫌!」と言えば「何が嫌なの?」と寄り添ってもらえる。
大人になった今、それがいかに難しい事なのか痛感しています。
煩雑なアレコレに追われて、語り合うどころか、自分の心すら見失ってしまう。
そんな状態で誰かの心と繋がろうなんて、拗らせにも程があるってもんです。
助けてくれたのは、一緒にいた動物達でした。
ただ向き合って、「好きだよ」「いい子だね」「ありがとう」と言い続けると、彼等もちゃんと同じものを返してくれる。
心と心がつながる、そんな幸せを思い出させてくれました。
イカれてると思いますか?
首を縦に振った貴方、動物を飼った事ありますか?
無いんですか?
イカれてますね!!
いつだって、私は優しくされてきた。
両親からは可愛がられ、不器用ではあったけど、私の望みを精一杯叶えてくれた。
仲良くなる友達は皆器が大きくて、私の変な言動をいつも面白がって、一緒に笑って、時には泣いて、喧嘩もして、いっぱしの青春を味わわせてくれた。
すごく、すごく恵まれていて、幸せだった。
社会に出てからは、そんな私は全く価値をつけて貰えなかった。どこへ行っても怒られて、説教されて、使い物にならない奴の烙印を押された。
そこで私は思ってしまった。
「社会は優しく無いんだ」って。
もっと変わらないと、もっとちゃんとしないと、「明確に」役に立つ証明をしないと。
社会から「要らない」と爪弾きにされてしまう。
両親が「最近どう?」と気にしてくれても、友達が私に「会いたい」と言ってくれても、全然ありがたく無かった。
だって私は優しく無い社会に、しがみついて生きなきゃいけないんだから。
一時優しくされたって、後が辛くなるだけだ。
「もっとこうしろ」「何で出来ないんだ」「ダメな奴だな」
そんな言葉が降りかかる世界で、1人で生きなきゃいけないんだから。
優しくされて、表向きは感謝していても、本当は思っていた。
「優しくしないで」って。
更にそれをこじらせて、「私に優しいだと…裏があるだろ!」「お金は貸せませんよ!!」みたいに、ひねくれた目で人を見るようになってしまった。
今になって、漸く「それはもう違うよ」と言えるようになった。
社会が優しいかどうか、価値があるかどうか、まず私が決めて良いんだって教えてもらった。
「社会は優しい」
「何もしなくて良い、そのままの私でもう価値がある」
「だからもう、優しさを思いっきり受け取っていい」
決めてから、大分のびのび生きられるようになってきた。
でも変化はグラデーションで、たまーに昔の感覚が戻ってきたりする。
差し出されたものにムズムズして逃げ出したくなったり、「優しくしないで!」って叫びたくなる時がある。
その度に、「いやいや、もう違うから」と軌道修正するんだけど、最近はそれを楽しんでる自分がいる。
あんなに苦しんでいたのに、気付いて変えればこんなにも印象が変わるものなんだね。
散々こじらせて、絶望すらしていた「優しくしないで」は、今を楽しむスパイスになっています。
#やさしくしないで
日の当たらない所が好き。
出来るだけはじっこの、影が濃い所。
じりじり肌がやかれる感じが無くて、腰を下ろすとひんやり冷たい。あー落ち着く。
キラキラ光る日向をぼんやり眺めて、たまーに浴びに出てみたりして。
そんな塩梅が、一番私らしいと思います。
最近、やたらと微熱が多いんです。
夜家に帰ってきて、ふぅーと一息ついた時に「あれ?なんか変だな?」と感じて、測ってみると大体36.8℃くらい。
多い時は、週に3回はそんな事があります。
変だなぁ、昔は熱なんて全然出した事なかったのに。
ちょっと前にコロナに罹ったし、それの名残りかな。
今は仕事が忙しいし、身体がしんどいのかな。
色々思いを巡らせてみて、いやまてよと思い至ったのは、
「気付いてなかっただけで、昔から意外と発熱してたんじゃないか」
という事。
つまり、今やっとそういう身体の機微に気付けるようになったのでは。
まぁ無理が利かなくなった、歳を食ったと言ってしまえばそれまでだけど。
もっと自分を労わり大事にする、そんなきっかけ探しが出来る様になったと思えば、存外悪いものではないのかもしれません。
#微熱
例えば、自分よりずっと上手くやってのける人を見て、「私なんか」と落ち込む心を感じる時。
例えば、面白いのであろうネタで大笑いしている一団に、くだらねぇと冷めた目をする自分に気付いた時。
例えば、あり得ないようなミスを目にして「バカじゃねえのか」と思わず口にした時。
まっさらだった自分は、果たしていたのだろうかと途方に暮れる。
自分を卑下する事はなく、傲慢に足蹴にする事もなく、誰かを否定する事もない。
ただ目の前のものを、そのままに受け止めて「そうなんだ」と呟くだけ。
戻れないと分かっていても、私という色眼鏡をかなぐり捨てたい時もある。
疲れてるんだ、もう眠ろう。
眠って起きたら、「そんな私で良いじゃないか」と呟けるさ。
きっとね。
#無垢