「また明日」という言葉、なんて事なしにますよね。
実際、私も「また明日ね〜」とサラッと同僚に言うし、明日の自分にタスクをぶん投げる事はしょっちゅうあります。
「明日の私、信じてるぞファイトー!!」ってな感じで。
しかしね、その「明日」が来る100%の確信なんてない。
明日どころか、次の10分後だって自分が存在していられる保証はないんです。
「そんなバカな」と思いますか?
正直、私はちょっと思います。
昔は鼻で笑ってました。
「はいはい、意識高くて結構ですねぇ」って嫌味なコメントつけて。
しかし、父親が心臓病を患い、五年後の生存率が三割と告げられてから。
少しずつですが、明確に変わりました。
次の瞬間には止まるかもしれない心臓。
布団に入って、翌朝には失われているかもしれない生命。
そんな自分自身と向き合って、本当に大切なもの、本当にやりたい事だけを選び続けている父。
誰よりも父の側で、悲しみと不安を抱えながら、それでも寄り添い生きる母。
そんな様子を横目で見つめてきて、次第に
「今この時間、この生命は当然に与えられるものでは無い」
という感覚が、馴染んでいった感じがします。
「また明日」を、当たり前にしない。
両親からもらった、大事な教訓のひとつです。
#また明日
5/23/2024, 7:27:10 AM