新しい地図を手にしたって、最初は何もかもが未知の世界だ。地図に示された道を辿るもよし、気になる道を勝手に外れてみるもよし、結局はその先に何が待っているかなんて分からない。でも、それが面白いんだよな。計画通りに進んでいくのもいいけど、途中で「これだ!」って感じる瞬間があるんだ。道を外れた先にこそ、本当の発見があるってことを感じるときが来る。
まぁ、考えてみりゃ、道なんてどこにだって続いてる。直線でも曲がりくねってても、結局その先には何かが待ってるもんだ。ただ、普通に歩いてるだけじゃ気づかないような細道や裏道が、意外と面白い景色を見せてくれるもんなんだよな。地図に従ってただ歩いてるだけじゃ、こういう楽しみ方はできないわけだ。
でも、地図の裏を見たとき、初めてその場所が「自分だけのもの」になるんだよ。たとえその地図が誰かと共有されているものであっても、自分の足で踏みしめた土の上にこそ、その人だけの思い出や経験が刻まれる。そうやって新しい地図を描いていくんだろうな。
そして地図を広げた時には、ただ目的地に到達することだけが全てじゃねぇ。その過程で、いかに楽しむか、いかに新しいものを発見するかが大事だってことに気づくんだ。だから、道を外れたって恐れなくていい。むしろ、外れることで新しい道を見つけ、次の地図が広がっていくんだ。そんな風に、進んでいくのが一番面白いってことだよ。
新しい地図
桜ってのはよォ、昔から散るのが美しいだの、儚いだの言われてっけどよ。
本当のところ、アイツらはそんなもん気にしちゃいねぇんじゃねぇか?
春が来りゃ当たり前みてぇに咲いて、風に吹かれりゃ何の未練もねぇって顔で散ってく。
誰かに見られようが見られまいが、関係ねぇ。ただ、自分の咲き時が来たから咲く。
散るときもそうだ。惜しまれることを誇るわけでもなく、ただ次へと命を繋ぐように舞っていく。
…なぁ、俺もよォ、そんなふうに生きられたら、少しは楽になんのかね。
余計なこと考えず、過去に縛られず、ただ“今”を精一杯咲かせりゃいい。
そう思えたら、もう少し肩の力抜いて生きられんのかもな
桜
いるだけで心が静かになる
言葉なくても、感じる温もり
無駄に過ぎる日々の中で
その瞬間だけはゆっくり流れていく
何もなくても、一緒にいるだけで
すべてが少し優しくなる
特別じゃなくてもいい
ただ隣にいてくれる、それだけで
時間が教えてくれる
何気ないことこそが一番大事だって
そんなふうに思えるのは
君とだからこそ、なんだろうな。
君と
涙ってのは、本当におかしなもんだ。自分でもビックリするようなタイミングで出るんだから。でも、その「ビックリ」が面白いんだよな。さっきまで何ともなかったのに、突然涙腺が「ちょっと待った!」ってな感じで、ガバっと開いて、あっという間に涙がジャーっと流れる。
あれってさ、たぶん心が「今、すげぇ感情爆発しそうだから、やっぱり涙で押さえとこう」って無意識で調整してるんだよな。でも、心がそれをうっかり忘れて、限界に達して泣く。泣くとき、顔がぐしゃぐしゃになるのもまた面白いところだ。まるで自分がバケモノみたいに思えてくる。でもそれでいいんだよ、だって泣いた後は、案外スッキリしてるもんだから。
なんで泣くかって言うと、心の中に溜まったモヤモヤとか、抑えきれない感情を外に出すためだよな。うっかり笑っちゃうほど自分でもビックリするけど、泣いた後には「あれ、なんだか軽くなったな」って不思議な感じがする。
涙って、いろんな意味で「解放」のサインなんだよな。泣くことで、心の中の重い荷物が少しだけ軽くなる。そして、その後にまた笑えるっていう、なんだか大人な感じがするんだよ、これが。
涙
100作品到達!
春爛漫っつーのはよォ、まるで街全体が浮かれてるみてぇな季節だよな。桜は咲き乱れ、ポカポカ陽気でみんなニコニコしやがる。おまけに新生活だの出会いの季節だのって、やたらキラキラした言葉が飛び交う。いやいや、こちとら花粉と眠気で死にかけてんですけど? 春の優しさってのは、花粉症持ちには容赦ねぇんだよな。
でもまぁ、桜なんか見ちまうと、やっぱりちょっとだけ感傷的になるよな。あっという間に咲いて、あっという間に散る。まるで、オレの財布の中身みてぇだ。でも、それでも毎年変わらず咲くってのが、なんか粋だよな。人生もそんな感じで、どんなに散ろうが枯れようが、また咲きゃいいって話なのかもな。
ま、難しいことは置いといて、せっかくの春爛漫だ。団子でも食いながら、のんびり桜を眺めるくらいが、ちょうどいいだろ。
春爛漫