終わりっつうのは、ただの区切りでしかねェ。
人生ってやつは、勝手に幕引きできるほど安くもねェし、
逆に「ここで終わりだ!」って決めたところで、
次の朝にはまた太陽がのこのこ顔出してやがる。
つまりだ、終わりなんざねェんだよ。
あるのは、終わったと“思った”そっからの始まりだけだ。
たとえば、祭りが終わった後の寂しさも、
結局は「また次がある」って思えるからこそ味わえるもんだろ?
燃え尽きるのもいいが、灰になったところで風が吹きゃまた舞い上がる。
んなら、しぶとく生きてみりゃいいじゃねェか。
人生ってのは、続く限り続くもんだ。
だったら、何度でも初めてやりゃあいい。
その度にちょっとずつ違う景色が見える。
だからこそ、生きるってのは面白れェんだよ。
終わり、また初まる、
星ってのは、何かしら「俺様」感を持ってるよな。
遠くから見ると「おぉ、なんて美しい」ってなるけど、実際近づいてみたら、「あ、何もねぇ」ってなるパターンだよな。でも、だからこそあんなに輝けるんだよ、あいつら。触れられないからこそ、手が届きそうで届かない、その微妙な距離感がまた、いい塩梅で魅力的なんだよな。
だけど、俺たちみたいな人間はどうしてもその光に引き寄せられる。こっちが手を伸ばすたびに、星は少しずつ遠ざかる。どれだけ追いかけても、結局その距離は縮まらない。だからこそ、次の日もまた、無駄に見上げてしまう。あいつらがわざと見せつけるその光が、俺たちを試してるみたいで、なんか悔しいけど、ついつい引き寄せられてしまうんだよな。
まぁ、結局星も、俺も、あいつらの光も、遠くにいるからこそ、輝いてる。近くにいたら、ただの普通の「光」でしかない。でもそれを分かってて、毎晩夜空を見上げる。何なんだろうな、あれは。
星
願いが1つ叶うならば、俺は…毎日、寝坊しても誰にも怒られない世界にしたいな。だって、朝からなんであんなに急がなきゃならねぇんだよ?目覚ましが鳴っても、また5分、5分って寝ちゃうし、結局バタバタして『遅刻すんじゃねぇよ』って怒られるのが常じゃん。でも、もし誰も怒らない世界だったら、寝坊しても、ゆっくり起きて、朝ごはんも冷蔵庫の残り物で適当に済ませて、余裕のよっちゃんで出かけられるわけだ。まぁ、現実はなかなかそんな風にはいかないんだろうけど、でも、たまにはそんな世界で生きてみたいもんだな。
願いが1つ叶うならば
嗚呼、どうして人ってこんなにも面倒くさいんだろうな。特に俺みたいなやつは、何か頼まれると「やりたくねぇな」って思っちゃうんだよな。でも、結局やらなきゃいけないことはやる羽目になるんだよな、嗚呼、もう。やりたくないことをやりつつ、やりたいことを先延ばしして、そんな自分にイライラする毎日。嗚呼、でもそれが俺ってやつだ。まぁ、しょうがない。人生、適当に楽しむのが一番だと思うしかねぇな。
嗚呼
ラララ〜、ラララ〜
風に乗って響く声、
なんだかんだで心の中に
ちょっとした軽さが生まれるんだよな。
ラララ〜、ラララ〜
どうせなら、悩んでる暇あったら
ラララって歌ってみろ。
気づけば少しは楽になるかもしれねぇぞ。
ラララ〜、ラララ〜
どんなに疲れてても
歌うことで、ちょっとだけ楽になる。
あぁ、こんな簡単なことで、
心の重さが軽くなるなら
いくらでも「ラララ〜」って言ってやるさ。
ラララ〜、ラララ〜
それでも、やっぱり問題は山積みだが、
とりあえず「ラララ〜」で一息ついて、
また歩き出すしかねぇんだよな。
ラララ