お題:喪失感
敷地に入った途端、一気に音楽と人のざわめきが大きくなる。普段浴びない強い光に酔ったのか、少し視界がふらついた。やぐらから周りへと吊るされた提灯が、辺りを橙色に染めている。追い討ちのように電飾が照っており、ここだけ別世界のような明るさだった。
地元の神社での夏祭り。敷地自体が小さいから、やぐらと店舗はかなり小規模だ。私は親のお使いで焼きそばと焼き鳥を買いに来ただけ。その後は盆踊りを少し観て帰るつもりだった。
私の腰までの背丈しかない子達が何度も横を通り過ぎてゆく。小さい頭を見下ろしながら、両親に連れて来られた記憶を薄く思い出した。
そわそわしていた私を見て親は「行ってきたら?」と背中を押し、一緒に盆踊りの輪の中へ飛び込んだ。同世代の子達と大人に囲まれて踊りながら、外で眺めているだけの人に「入った方が楽しいのに」と思ってたっけ。
お使いを済ませ、ラムネを買うか迷って結局買わなかった。やぐらから少し離れた場所に佇んで、輪の中で笑顔にはしゃぐ人々を眺めていた。一曲終わって拍手が響くと、私は鳥居の方向へ足を進めた。
鳥居を潜って真っ直ぐ歩き続ければ、背後のざわめきが段々遠退く。あっちが眩しくて騒がしいだけなのに、世界から光と音が失われてゆくような喪失感を覚えた。
右に曲がる直前で道を振り返ると、鳥居の向こう側に浮世離れした橙色の灯りが見える。私は自然とスマホをかざし、シャッターボタンを押していた。
手の内の機械に写った画像をみて、なぜか胸が締め付けられた。
お題:世界に一つだけ
「昨日さぁ、学校の近くで会ったじゃん?」という言葉が始まりだった。
「そのときさぁ…」と続く言葉を私は遮る。
昨日は家から一歩も出ていないのだ。それを友人に告げると、彼女は首を傾げて笑った。
「えー、生き霊?」
いわゆるドッペルゲンガーなのだろうか。
クラスメイトたちが時折、もうひとりの私について報告してくるようになった。いつの間にか話が広がっていたらしい。
「映画館でポップコーン買ってたよね。あれは本物?」
「軽音部の発表見に来てくれてありがと!え、行ってない?」
「昨日ゲーセンにいた。一緒に音ゲーやった」
次第に、もうひとりの私のことを「2号」だとか「分身ちゃん」などと呼び始めた。ただ、その呼び名は可哀想だから名前を決めることにしたらしい。私が「一花(いちか)」だから「二花(ふつか)」だそう。元々は怪談として盛り上がっていたのに、今では双子の片割れ扱いだ。
彼女のことは不気味な存在だと思っていた。だが、話を聞く限り悪い奴ではなさそうだし、私よりずいぶん社交的みたいだし。「もうひとりの私」から「私と瓜二つな二花さん」と認識を変えるようになった。
それから特に何事もなく私は日常を過ごし、高校を卒業する日が近づいていった。
卒業式の朝、勉強机の上に手紙が置いてあった。
『一花ちゃんへ』と書かれた紙を裏返すと、私と似た字体で文章が綴られていた。
いわく、彼女は私の存在を乗っ取るつもりだったらしい。しかし、第三者に認知され、果てに名前も付けられてしまった。私とは完全に別の存在だと認識された為、不可能になったのだとか。
『実は、一花ちゃんのお金を勝手に使ってました。2万円くらい』
貯金がなかなか増えないと思っていたのだ。そういえば、映画館やゲーセンと、かなりお金を使うとこ行ってたな。あいつ。
最後の『私の存在を認めてくれたお陰だよ。楽しい思い出をありがとう。二花より』を読んで、2万円のことは水に流してやろうと思った。
『あなたという存在は世界に一つだけ』
似たフレーズは何回も聞いた。容姿、性格、考え方などが自分と完全に一致している人なんてほかにいない。その事実をポジティブな意味で使用した言葉だ。
私はこれを耳にする度、なんとなく二花さんのことを思い出す。そして、このフレーズに「その通りだな」と思う。
二花さんでさえ私と全く違う存在なのだから。
お題「胸の鼓動」
いびきが聞こえる。
引き戸を壁代わりにして分けられた部屋だから、隣の部屋の物音はこちらに届きやすいのだ。
弟が昼寝なんて珍しい。夜中に寝落ちすることはよくあるみたいだけど。
いびきをBGMに、私はぼーっと窓の外を眺めていた。
今日のお昼は何を買おう。サンドイッチかおにぎりか。弟の分もまとめて買ってきてやろうかな。
弟の要望を聞き出そうと引き戸に手を掛けたそのとき、今朝の会話をふと思い出した。
あれ、今日はバイトだから遅くなるって言ってなかったっけ。
誰かのいびきが隣の部屋から聞こえてくる。
急速に体が冷えていく。私の心臓は激しく動きだした。