マサティ

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6/17/2024, 4:22:29 AM

1年前の自分をうまく思い描けない。
出来事だけなら、写真やラインの履歴から思い出せるだろう。
曖昧なのは頭の中の話。
思考、思想、出来事に付随したあらゆる感情が抜け落ちている。
1年に渡って継続された信念がどれほど残っているか。
それがあるとすれば、もはや1年単位のものではなく、もっと自身の根幹近いものである。
去りゆく感情を無駄とは思わない。
むしろ微笑ましく感じる。あんな時代もあったね、と。
ただ、少しだけ勿体ないなと思うようになった。

最近ノートをつけ始めた。
こぼれ落ちてゆく思考の断片を、将来の自分に届ける為だ。

6/4/2024, 7:57:04 AM

染色器官(仮)

5/1/2024, 9:52:18 AM

お題「楽園」
「救いようの無い楽園」

ハンバーガーを食べる。健康を気にする。
サラダを食べなきゃいけない。
野菜がとれない日はマルチビタミンの錠剤でカバー。
必須栄養素を欠かしてはいけないから。
見たい動画が消化しきれていない。
明日は仕事だから、日付が変わる前には寝ないといけない。
大学時代の先輩から飲み会の誘いがあったのに返信出来ていない。
特にお世話になった先輩だから、なるべくなら予定を合わせたい。
押しのVチューバーが初イベントを行っている。
チケットをとれるなら是が非でも取りたい。
動画を見ながら歯を磨く。推しの新曲を聴きながら風呂に入る。
せせこましくインプットを続けながら寝る体勢に入る。
唐突にスマホの通知音鳴る。
付き合いたての彼女からの連絡。
今週日曜日の予定、どうしても合わせることが出来ない、と
眉間に皺を寄せつつ、深呼吸をして「大丈夫だよ」と返信。
こちらだって同じ様な内容を送ったことがあるじゃないか。
それと同時に、ほんの少しホッとした自分もいる。
日曜日には先輩との予定を入れることにしよう。

30歳を越えて、仕事に責任を与えられるようになった。
人間関係にも余裕が出来て、給料も多少はあがった。
でも正直、適当にこなしてほどほどの生活をしたい。
何にせよ時間がない。
結婚はまだか、と職場のお局さんからちょくちょく言われる。
結婚や家庭を意識すべきなのだろうなと思う。
片手間に合コンに行ったりマッチングアプリを触ってみたりした。
何人かの女性と会ってみて、一番自然に会話できる相手と付き合うことになった。
互いに選考した結果「合格した」ということなのだろう。
形式的に毎週会っているが、この先のことは分からない。
ふと、中学高校時代の将来の夢はなんだっけと回想に耽る。
映画監督、プロ野球選手、バンドマン、様々な一縷の可能性が降っては流れ、塵のように僕の奥深くに積もっている。
でもそんなことは良いのだ。
彼らの裏側が苦悩とコンプレックスに満ちていることを、なんとなく想像できる。
叶えたものと等価の、失われた時間・快楽があることを知っている。
僕は消費者で良い。
絞られた才能の汁を、ちびちびとススって気持ちよくなりたい。
それで良いと思っている。
思っているけれど、ふと自問自答する。
それで良いのか。一度きりの人生を、そんな風に消化するのか。
「別にいいんだよ」
即答する。早く眠りにつかなければ。
アフリカの飢えた子供達を想う。
新薬開発の犠牲になる実験動物を想う。
今、僕が甘受している状況は奇跡に近いものだ。
漠然とした不安や焦燥が、就寝前特有の感情だと思いこむことにする。
過去のことを考えてはいけない。将来のことを考え過ぎてもいけない。
僕は目の前の人生を、きちんと考えて生きている。
明日の朝は早い。ポジティブにいこう。
瞼をとじる。明日のことは、明日の自分がなんとかしてくれる。
なんて贅沢な悩みだろうか。悩むべきですらないのかもしれない。
だって僕は、とても恵まれているのだから。


4/26/2024, 9:32:22 AM

流れ星に願いを
〈未定稿〉

4/11/2024, 6:23:50 AM

春が障る

みなさん「春が障る」ということがないでしょうか。
肌と空気との温度差がなくなり、感覚がぼやけていく。
そんな時、春に浸食されているような気分になるのです。
自分と自分じゃないものの境が分かりにくくなるとでも言いますか、なんだかすべての事象が他人事に思えなくなります。
桜の花びらが舞っていると、自分もその花弁の一片のように感じます。
道行く人が皆、いつかどこかですれ違った誰かの様な気がします。
何も覚えていないのに、大事な何かを忘れてしまっていて胸がきゅっと締め付けられます。
それらが私自身のキャパシティで支えきれなくなって、全部放り投げだしてしまいそうな不安にかられます。
いっそ放り投げても良いのかもしれませんが、大事なものもついでに捨ててしまいそうな気がして身動きがとれません。
私が春にぼんやりとしてしまうのは、自分と世界の境を意識の底に沈めておくためです。
考えすぎると、必要以上の障りが生まれてしまうのです。
受け止めきれない気持ちは引き出しにしまっておきます。
春は温かい泥のように心地よく、うっかりしていると足をすくわれます。
もがけばもがくほど、心の何かが削られて花弁が舞うだけで心乱されます。
そんな時、私は心の中で眼を閉じ身を任せます。
春に沈んでいけばいいのです。
山の葉が硬くなり青々と繁り出す頃には、幻想の春は薄まり、世界は輪郭を取り戻しているでしょう。

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