空は青く、緑は美しく、私は贅沢な時間を過ごしている。
家の窓から太陽を浴びながらストレッチ。久々の休暇を自分のためにつぎ込んでいるとてもよくできた人だ。朝から散歩、帰ってきてから白湯を飲み、ストレッチ終わりには玄米を食べる。どこぞのモデルかのように過ごして午後は貯めていたテレビを消化する。お風呂からあがれば美容に命をかけて顔の下ごしらえをする。明日は会社だからできる人とアピールしなければ。自分は1人で生きるんだ。
あの太陽が1人で、月が1人のように、自分の心も1人と決めたのだ。 それの方が晴れわたり、美しいと感じたから。 『快晴』
幼なじみが海外へ引越しをする。
理由は親の引越し。子供はどうすることも出来ない不可抗力。しかし、小学3年生には酷な事だ。
「ねぇ、向こう着いたらお手紙送ってね」
「もちろんだよ!」
泣きながら2人が話している。抱き合いながらこの世の終わりかのように泣いている。
「写真つけてね、絶対だよ!」
「わかった、私の顔が入ってる写真を送るわ!」
母である私は相当罪なことをしてしまった。父親について行くとはいえ、子供に決定権がない時期に海外はあまりにもかけ離れている。
この純粋無垢な子供は数年すれば英語に染って日本語が苦手になるのだろうか。この幼なじみへの手紙も疎かになるのだろうか。現地の子供と仲良くなって自分の意見をはっきり言える子になるのだろうか。
全く違う『遠くの空へ』かけていく翼を折らないように全身全霊をかけるのみである
「ねーえー、聞いてる?」
桜が咲く少し前
「聞いてる聞いてる、あの約束でしょ?」
女子学生が2人
「そ!いつにする?」
JK最後の春を
「学校始まる前がいいよね。始業式っていつ?」
楽しもうとしている
「うち4月の10日」
他校だろうと
「こっちの方が早いな」
関係ない
「そーなの?いつ?」
あなたと何回目の
「7」
春だろうか
「金曜にすんの、変わってんねぇ」
公園の桜を
「てか、彼氏は?いいの?」
毎年見てる仲
「この日はいいの!」
彼氏なぞは
「そう、じゃ8の土曜日にしようよ」
置いといて
「桜を愛でる会!今年も開催決定!」
あぁ『春爛漫』
僕がキミの良さを一番知ってるんだ!そこらのニンゲンより絶対!!底がでこぼこしてる鮮やかな小さい靴を履いているヤツや、だるだるの襟を着た男や、声が高い女よりもずっと!
僕はキミの頑張りをずっと見てきたんだよ。知ってるもん、毎日本とにらめっこしながら紙にいろいろ書いてること。お湯に肩まで浸かってる時もぶつぶつ呪文を唱えてること。暖かいものでくるまれて横になってる時に泣いてること。その理由が頑張りすぎてるからだってことも。
だから胸を張ってよ!自分はすごいんだぞって!自分を信じてよ、自分はできるんだぞって!そんなことできない?自分は頑張ってない?まだそんなこと言うの?猫様であるこの僕がキミの情熱を見てるよ。
『誰よりも、ずっと』
幼い時の将来の夢は分単位で変わっていた気がする。幼稚園の頃は特にピザ屋さん、ケーキ屋さん、アイスクリーム屋さん、お花屋さんなどの店員さん 。テレビで写った人が全て将来の夢になっていた。中にはパトカーや救急車、戦隊モノ、プリキュア、うさぎさん、と絶対なれないものでも夢にあげていた。
小学生の時は少し進化して、パティシエ、料理人、先生、お父さん、お母さんと具体的になった。そして大きくなるたびに将来の夢は叶いにくいものだと知った。叶わないから夢なのだと覚えていくようになった。
中学生では将来の夢は無いという人が多いだろう。将来の夢は叶わないもの、でも叶えたいもの。他人に言うのも恥ずかしい、現実的でないものは 言いたくない。夢叶ったんだ、良かったねと思われたい。そうして将来の夢から離れていく。将来の夢は消えていく。
高校生、夢を叶えるための一番の岐路。幾千幾万の選択肢の中から夢を叶えるために選択し、3年間の全てを注ぐ。ああなりたい、こうなりたい、を叶える絶好のチャンス。ただ、積み重なった約3年が邪魔をする。言いたくない、夢などない、将来の夢なんかバカらしい。そうして人生が決まっていく。
私の夢は小説家。作家になりたい。
幼い時は本を書く人。小学生ではこんな本を書く人。中学生では小説家。高校生では中高生向けの小説を書く作家。大学生でも、社会人になっても、『これからもずっと』