『別れ際に』2023.09.28
「したっけバイバイ」
それが俺たちの別れ際の挨拶だ。
北海道出身の彼の口癖が俺たちの間で流行ってから、ずっと続けて来ている習慣。
「したっけね」
が本来の別れの挨拶だと北海出身の彼は言うが、気に入ってしまったものは仕方がない。内輪で使う分には問題ないはずだ。
怒っていても悲しくても嬉しくても、その挨拶だけは絶対にするのだと決めている。俺たちの約束だ。
「俺ぁね、リーダーの葬式の時にはね、したっけバイバイって言うって決めてるとよ」
「待て、勝手に殺すな」
「焼かれるときに起き上がって、大きな声で、したっけぇバイバァイ! つって言うんだろ」
「もうホラーだわ、それ」
「いやいや、別れるときはそういう約束でしょ」
「あのなぁ、死んだら意味ないんだって」
俺の言葉に、しんとなる。そう、死んだら俺たちのお決まりの挨拶もできない。
ベッドの上で横たわる最年少の彼は、目を閉じ口を結んでいる。
「ねぇ、分かってる?」
最年少の彼の先輩である彼が、涙ぐみながらそう声をかけた。ぐすぐすと鼻を鳴らし、涙まで流している。
「したっけバイバイしたかったなぁ」
北海道出身の彼がそうつぶやいた。金髪の彼も涙をこらえるように黙ったまま俯いた。
「……寝れないんですけど」
ずんと沈む俺たちの耳に、心底迷惑そうな声が届いた。
眠っていたと思われる最年少の彼が、目を開けてじろりとこちらを睨んでいる。
「いい加減、そっちも寝てください」
「なしてさ、構ってくれよぉ」
北海道出身の彼が最年少の彼の布団に潜り込んだ。俺たちはそんなからかいに満足して自分の寝床に戻る。
未だにわちゃわちゃしている二人をそのままに、電気を消して完全に寝る態勢に入った。
「あれだな、解散するときはしたっけバイバイって言いたいな。みんなでさ」
俺がそう言うと、みんなは一瞬黙ってから、すぐにそれぞれ思い思いの返事をしてくれた。
「したっけバイバイ」
五十年後にそれをみんなで言う日まで、俺たちは一緒に舞台に立ち続けることだろう。
『通り雨』2023.09.27
「あっ、降ってきた!」
稚内から札幌を自転車で目指す途中。滝川市に差し掛かった時だった。
顔に当たる雨が多くなってきたので、僕たちは近くのコンビニで休憩をすることにした。
雨脚はだんだんと強くなり、この雨の中を進むのはなかなかに厳しいものがある。
イートインコーナーでコーヒーを飲みながら、地図を確認する。
「ここからどうします。もうちょい進みますか」
「そうですなぁ。お二方、体力はどうですか?」
「まだ大丈夫ですけど、ちょっと膝が痛いです」
「それじゃあ、今日はちょっと早いけどここで休みますか?」
ああでもないこうでもないと、男四人が頭をひねる。
しかし、残りの日数も限られている。ある程度は無理をして先に進まないといけない。
地図から目を離し、外を見る。相変わらず雨は降っている。
時間を確認すると、十五時を少し過ぎたところだった。
「じゃあ、あと一時間して雨がマシにならなかったら、ここで今日はおしまいにするってどうですか?」
僕がそう提案すると、他の三人は顔を見合わせて同じように外を見た。西の空が少し明るくなっているような気がする。
「それでいきましょう」
この旅の全決定権を持つ社長が頷く。サポートメンバーの二人も異論はないようだ。
話はまとまったので、僕たちはそれぞれ思い思いの時間を過ごすことにした。こうしてゆっくり腰を落ち着けたのも、この旅始まってから久しぶりだ。
いつもは嫌なこの雨も、この時はありがたかった。
『秋🍁』2023.09.26
あんまんが一つにおでんの玉子と大根と牛すじが各種一つずつ、焼き芋を一本。その前に鮭おにぎりと昆布おにぎりを食っている。
美味そうにそれらを平らげるそいつは、ほそっこいくせによく食べる。
もちろん、俺だってそうだ。おふくろが作ってくれる弁当だけじゃ足りなくて、毎日コンビニでいろいろ買い込んでいる。
食欲旺盛な男子高校生なんてそんなもんだ。
世間ではすっかり秋めいてきて、食欲の秋だなんて言っているが、そんなことは関係ない。
「ほんと、美味そうに食うよな」
そう声をかけると、そいつは食後のデザートのシュークリームを食べながら、首を傾げた。どれだけ甘いものを食うつもりだ。
「そう?」
「晩飯は晩飯で食うんだろ」
「それはそっちも同じじゃない?」
「……そりゃあな」
当たり前だ。そのあとに夜食も忘れない。両親はやめてほしいようだが、晩酌のつまみをついでに作っているし、将来とやらのためだと言えば、そこまでうるさくは言われない。
「お前、ちゃんと晩飯は食ってんのか?」
「うん。そこはぬかりないよ」
「そっか」
それ以上、追及することはやめた。こんなとき、嘘か本当か悟られないようにするのがコイツが上手いのだ。
「ほれ、俺のも食え」
まだ口をつけていないエクレアをくれてやる。
するとコイツは嬉しそうに顔を綻ばせた。食欲の秋よりスイーツの秋のほうが、コイツにはピッタリかもしれない。
『窓から見える景色』2023.09.25
特に目的もなく、遠方に出るのが好きだ。自分を知らない人がいる地域に行って、そこで美味しいものを食べたり、そこに生きる人々の営みを感じることが好きだ。
窓の外を見ると、雲が下に見える。電車やバスの旅も楽しいが、こうして飛行機に乗ると、さらに旅のワクワク感を感じることが出来て、『旅をしている』感覚になる。
『当機はまもなく、新千歳空港に到着いたします』
方言を交えながら道中、楽しくアナウンスをしてくれた機長の声が優しく耳に馴染む。
彼は名物機長らしく、端々に出る北海道弁の響きがあたたかく可愛らしい。
北海道と言えば、うちの事務所の社長は北海道の人だし、先輩の北海道の人で、どうやら自分は北海道に縁があるようだ。
北海道に着いたら、どこに行こう。社長や先輩がオススメしてくれたお店にも行きたいし、歴戦の名馬がゆっくり休んでいるファームに行くのもいい。
シートベルトを締めて、また窓の外の景色を見る。
そこには北海道の雄大な大地が広がっている。
ニュースではどこかで初雪が観測されたらしい。気温も低いらしいから、まずは上着を買ってもいいかもしれない。
そんなことに思いをはせながら、飛行機が着陸するまで、窓から見える景色を堪能した。
『形の無いもの』2023.09.24
『形のあるものが全てじゃない。形の無いものが全てな時だってあるさ』
歯の浮くようなセリフが流れてくる。画面の向こうでは、キザを絵に描いたような伊達男がキザにキメている。
トレンチコートを着て、フェドーラ帽を被って、葉巻を食わえている。鼻の下のかの有名な喜劇王のようなヒゲすら、キザに見えてくる。そしてそれは決して嫌味ではない。
想い人に愛する気持ちを伝えられないことを嘆く女性に、彼はそんな言葉を投げている。そんな彼だが、女性のことを好いており、なかなか複雑な立場にいるにも関わらずそうして慰めているのだから、皮肉がきいている。
「相変わらず、かっこよかね」
そう素直に食卓を囲む彼を演じていた彼女に声をかけた。彼女は俺の妻だ。
その隣ではうちの小さなお姫様が、うんうんと頷いている。
きっと言葉の本質は分かっていないが、いつも優しいママのかっこいい一面に頷いているのだ。
「そりゃ、私はかっこいいから」
そう言って妻は沢庵をかっこよく嚙み切った。スーパーで買ったお買い得の沢庵が不思議とかっこよく見えるから不思議だ。さすが、現役時代は世の女性ファンを魅了していただけある。
「みえないものってなぁに?」
小さなお姫様がきいてくる。とたんに妻はママの顔になって娘の頭を撫でた。
「ママやパパがあなたのことを大好きってこと」
「みえないの?」
「この世にあるどんなオモチャにもお菓子にも変えられないくらい大好きなの」
「そうったい。パパもママも君のことちかっぱ愛しとーよ」
娘は分かったような分かってないような顔をしたが、俺たちに好き好き言われて嬉しいのか、えへーとすきっ歯を見せて笑った。
小さなお姫様、形の無いものはそういうことなんだよ。