手をつなぐのは得意ではない
手をつなぎたい!と思う事はほとんどない。ほんとたまに、つなごうとして手を出したら、断られたりしたことがあり、思い出すだけで恥ずかしい。なので、自分から手をつなごうとすることはほとんどない。でも、つなぎたい人がきたら、相手に任せている。振り払いはしない。
思えば、小さい頃から、人と手をつなぐのは苦手だった。手をつないで仲良く、という文化が合わないなと思っていたし、子供っぽいノリもイヤだったし。
そういえば、小さい頃は体温が低く、手が冷たいといろんな人に言われていたので、それも嫌だったのかもしれない。
一方、実際に手をつなぐのではなく、抽象的な意味で手をつなぐ=協力する のはどうかというと・・・これも苦手だったりする。通知表にはおそらく、協調性が〜とか書かれていたかもしれない。
なので、そういった人たちも少しは生きやすい世界になるといいなと思う。でも、そんな人たちばかりだと、社会は成り立たない気もする。でも、理解してくれなくてもいいから、そういう人もいるんだなと軽く認めてほしいなと、昔から密かに願っている。
ありがとう、ごめんねというか
そういう言葉とは離れた文化圏で生きているので、違和感があるなあというのが第一印象。この言葉は言ったことはないし、言われたことはあるのかな・・・あるようなないような気もするけど、残っているのは、ごめんねの方。
日本語は、最後まで聞かないと文の意味がわからない言葉だと言われますが、この言葉もそうですね。
ごめんねの方が比重が高いので、それだけだと重いかなと思って、最初に聞きやすい言葉を緩衝材として使っているようです。
昔は、こういう緩衝材的言葉は、本音をごまかしてるように感じていました。ただ、時代的には、熱く直接的に主観的に話すよりも、優しく相手を傷つけないようにスマートに話すのが好まれるようです。
そのため、ごめんねを少しでも柔らかくするための緩衝材というのも必要なのかな、と思うようになりました。だとすると、使えるのも大人のマナーなのかもしれません。
最近、久々にちびまる子ちゃんをみたら、ヒロシがタバコも吸わずビールも飲まず、パチンコもしてなくてびっくりしました。時代に合わせて、ヒロシもソフトになっていました。酔っ払わないし、まる子と言い合いしないし、優しくなってました。なので、今のヒロシなら、言えるかもしれません。
私もいつの日か、ありがとう、ごめんねと言えるくらいの大人になりたいものです。まだ時間はかかりそうだけど。
眠れないほどの
情熱、不安、恐怖、痛み、苦しみなど、眠れないほどの後にくる言葉は、感情を揺さぶられるイメージが強い。
そういう時には頭がぐるぐる回り、そのことばかりを考える。緊張も強かったり、過覚醒もしてそう。
でも実際は寝てる時間はある。ほどの、という言葉がついてくるので。本当に全く眠れてなかったら、かなり危ない状態だ。なんでもできる気がして、睡眠も食事も取らなくても平気になり、聞こえない声も聞こえてくる。これはかなり危ない。
とはいえ、そのような、眠れないほどの〇〇があるというのは、少しうらやましい気がする。過去はあったが、今はそういうものはほとんどないし、やっぱり眠くなるし、実際寝てる。
昔のような情熱的なものは憧れる気持ちはあるが、体はすぐに眠くなる。どっちか選べと言われたら悩むな。
できれば、どっちかというよりどっちもがいい。ハマったら情熱的になり、飽きたら寝る。
今気づいたが、それは既に猫がやっていることだった。そう考えると、私が猫のレベルになるには、まだまだ時間がかかる。
夢と現実とは
というか、この現実という言葉が気になる。どんな文脈で使われるかというと
・もっと現実を見ないと
・現実的には難しいよね
・現実を受け入れないとね
など、今のままではダメだ、という言葉の枕言葉というくらい、否定的な言葉が後に続く。なんだか、現実という言葉を聞くだけでゲンナリしそう。
一方、夢の方はどうだろう。
・そんな夢みたいなこと
・夢かもしれないけど
・夢だったらよかったのに
幼いというか甘いというか、そういう感じで使われたり、実際ではないこと、という使い方が多そう。
ここまで書いてきてわかったが、なんだか、自分から出てくる例がネガティヴなものばかり。困ったものだが、これも現実だから受け入れないといけないのかな。なんか受け入れたくないな。
さよならは言わないで
直接こういった事を言われた記憶はないけど、「さよなら」ってあんまり自分で使わないなって気づきました。代わりに「じゃあね」とか「またね」とかいう感じの言葉を使ってます。
なんでだろう。文語みたいになってる気がするからかな。シティポップの歌詞とか昭和の小説とか出てきそう。日常的には使わない感じがします。
そう思うと、この言葉が日常で使われる場合は、「ちょっと強いし重いから、もう少し当たりが柔らかい言葉にしてくれませんか」という感じで言われることがあるのかも。
とはいえそんな感じで言われたら、ちょっと落ち込みます。この人ちょっとわかってないな、と扱われてるみたいで。
でも最初に書いたように、今まで言われたことはないのだから、これからも言われる可能性は低い。にも関わらず、もしも言われた時のことを考えて落ち込むなんて、なんて贅沢な時間の使い方。ちょっと贅沢過ぎるかも。