「過ぎた日を想う~時の流れ~」
月の光に反射して
天井に映る伸びた窓辺。
見つめてみた。
耳を澄ませてみた。
手を伸ばしてみた。
ふと、笑みがこぼれた。
いつもとは違った 時代(とき)の流れを感じた。
「親愛なる日常へ」
今日は楽しかった。
いつも行かないお店に行った
今日は楽しかった。
私の大好物を作ってくれた
今日も楽しかった。
いつも通りおしゃべりをした
今日も楽しかった。
洗濯機の回る音ときょうだいへの説教をきいた
今日も楽しかった。
スズムシの声を聴きながら布団に包まれるのだ
あぁ今日がもう少し終わらずに
ずっとずっと続いてくれたらいいのに。
されども、きっと明日も
また格別に面白い日になるのだろうね。
「真実から得られるモノはなにか」
どちらが最初か。
何が悪いのか。
どちらが悪で、何を嫌うのか。
いまこの時を生きている私たちでさえ、政治の闇、業界のルール、暗黙の了解。真実すら知らないことが山ほどある。
それなのに、どうして過去の真実を求めるのか。
誰かの記憶や、言葉や文字や軌跡から集めるモノが果たして、全てなのか。
歴史は真実を語るとは限らない。常に絶対的な信頼を寄せるに値するモノなどこの世にひとつだってないのである。
きっと必要なのは、疑うこともできる視点。
それに適材適所を見つけることができる捉え方。
上も下も、質も量も。
早い遅いも、緻密も粗いも。
必要とする場があり、必要とされるモノである。
真に平和な時代が、世界がくるのであれば
それはきっと、各々が真実を求めるのではなく
未来を生きるために時代(いま)を捉え、
自分の在り方を考えることができるときであろうなぁ
不完全な完成形
今をつくるのはいつだって
過去の誰かの
思いで、夢で、後悔で、想像で、欲で、人間味である。
良くも悪くも。
いま、わたしは
満点の星空や明け方の空を
ひどく何も無い平らな地で
飽きるほど見つめていたい。
なんて面白い矛盾だこと。
「あなたがいたから?」
なぜ命のリスクを分かろうとしない
なぜ人のために命をかけなければならない?
なぜ生活のレベルを疑わない
なぜその方法をとる
なぜ行動しない
なぜ自分が1番だと思う
なぜ分かち合うことが出来ない
現実的に考えろ、考えが甘いのだ
なぜ優先順位が分からない
なぜ気を向ける先が分からない、そこは見なくてもいい
なぜ周りの声を聞いていない、外ではできているだろう
なぜ大切な存在を安心させることを優先しない
当たり前を当たり前と思い、生きるな。
そんな世の中で
こんな現実で
ともにある意味が
私には理解できない
あなたがいたから、
そんな素敵な理由で
人生を共に歩むことができるひとに
出会える気も、
その出会いに飛び乗る勇気も、
心から信頼できる自信も
わたしは持ち合わせていない。
この心の壁を寄り添い、溶かしてくれるひとと
出会える日を願って。