noname

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7/4/2023, 12:02:02 PM

 聞けば、与えてはならないものだと。鍛冶場の炉から、隠して持ち出したちいさな灯火を、大事に大事に抱えてあなたは降りてきた。
 どうして火をくれたのですか。
 焚き火に温まりながら首をかしげても、あなたは答えない。勧められるままに口にした肉は、昨日までとは比べものにならないほど熱く喉を潤した。
 どうして火をくれたのですか。
 互いに向け合う憎悪に焼き払われる家々。悲鳴と涙に逃げ惑い、瓦礫の町であなたに叫ぶ。信仰さえも灰にして、燃え盛るのはあなたへの怒りばかり。
 どうして火をくれたのですか。
 あなたは無惨にも、括り付けられた岩山の頂に。苦悶にもがく鎖を打ち鳴らし、傷つけられた脇腹を鷲に喰まれ、それでも後悔など微塵も見せずに。
 山を登る。その曇りない瞳に見えるよう、松明を掲げて。雷雨の夜に、投げ落とされる稲妻も今は怖くない。飛び交う鷲を撃ち落とし、鎖を断ち切ったなら、あなたに聞きたいことがある。
 どうして火をくれたのですか。
 たどり着かない山の中腹で、あなたが私を見下ろした。熱を帯びた、美しい瞳で。


【神様だけが知っている】

7/3/2023, 3:50:46 PM

 歩く靴先に導かれるまま、藪を縫って歩いてきた。ここがどこかも知らないが、低く飛んでくちょうちょを追いかけ、昨日は左に歩いたし、今日は駆け抜ける風と一緒に右へ走った。ここかどこかなど、知る気もなかった。
 草木に擦れた腕の傷、小石に転んだ膝の傷。懐かしさを痕にして、忘れてしまった痛みは寝た子のままに。どこへいけばいいかなど、わかるはずもなく。
 暮れる夕日を前にして、途方に暮れて足を止め、うつむいた目が涙に歪む。すっかりくたびれた靴紐が、可哀想にもほどけていたから、しゃがみこんで直してやった。
 ぴったりと、この足に添う汚れたこの靴。
 立ち上がって、振り返ったのは初めてだった。黄金色にそよぐ草波に、どこからきたのかなんて、もう分からない。それほど遠くへきたのだと。
 いびつに細く続いてきた足跡が、先を求めて道になる。その先頭で、今夜はあの明るい星を目指すのだと、また藪の中へ、私は足を踏み出した。
 


【この道の先に】

7/3/2023, 3:08:57 PM

 廃屋の隅に息を潜める。埃まみれの寂しい板の間に座れば、我が家のような心地よさ。割れた壁の隙間、隙間、隙間を眩しい光線が貫いて、漂う塵を星のようにきらめかせた。
 朽ちた天井をくぐってのぞく空は、高すぎるほどに青く、はねつける熱で肌を拒む太陽など、直視できるはずもない。うなだれた胸の内を抱え、瞑った目のまま私は祈る。

 墜落せしませ、イカロスよ。

 傲慢な勇気と、敬虔な好奇心にあこがれて、私はこんな薄暗がりで君を待つ。羽もないのに、腕を広げて。



【日差し】

7/1/2023, 1:10:53 PM

 つとつとと、ガラスを打つ雨の色。濡れた曇天がしずくになって、この目が捉える先からこぼれ落ちていく。
 出会って、気づいて、別れの言葉もいいそびれ。人混みにかき消える気配のように、アスファルトの上、形をなくしてどこかへ流れていく透明なひと粒たち。
 どれが彼で、いずれが君か。あいつはどこかへ、あなたは彼方。たった私はぽっちで一人。ないまぜの気持ちのままに窓を見る。
 薔薇の葉が深く緑に泣きながら、花弁が雨をすすって空を請うている。紫陽花にすればよかったと、カタツムリの殻からため息がこぼれていた。
 陰る彩りに陽光恋しく、瞬きの裏に刺す鮮烈なあの日の君を、面影を。目に目を見返す、映り込んだ私の影のその外へと、いまだ夢に見る。


【窓越しに見えるのは】