【泣かないで】
昔、流行った研ナオコの歌を思い出した。
作詞作曲は中島みゆき。
♪泣かないで、泣かないで、私の恋心
あの人はあの人お前に似合わない♪
このフレーズを口ずさみながら私も自分の心に言い聞かせていた。
あの人に私は似合わないのだと…
あれから何十年が過ぎたのだろうか。
今は泣きたくても涙が出なくなった。
泣けなくなった。
泣いてみろ!と言われても泣けない。
もしかしたら実の母親が亡くなっても泣けないのではないかとさえ思う。
だから私は言いたい。
泣けるなら泣きなさい、思い切り泣きなさい、きっと心が休まる日がくるから…と
私が泣けなくなったのは老いたからなのか、それともいろんなことがありすぎて素直になれなくなったからなのか、心が氷のように冷たく硬くなったからなのか…
私もたまには声を出してオイオイ泣いてみたい。
(前の投稿から3ヶ月以上も過ぎていた。書くことは心のゆとりの表れだとしみじみ思う)
【やるせない気持ち】
いろんなことを思い出すと心がどんよりと重くなり言葉では表現できない気持ちになる。
過去はやり直せないのだから、これからのことを考えれば良いのに、どういうわけか昔のことばかりを思い出す。
人を傷つけたこと、失敗したこと、やらかしてしまったこと…
楽しかったこと、嬉しかったこと、幸せだった日々も確かにあったはずなのに、今も不幸せではないはずなのに…
そんなやるせない気持ちを誰にぶつけるでもなく、独り言のようにここに書く。
やるせない気持ちを色にたとえるならば何色だろうか?
黒、灰色…それとも藍色?
せめてそんな藍色ならば、深い深い海の底に私のやるせない気持ちを沈められそうな気がするけど…
でもたぶん冬の日本海の空の色、鈍色、どんよりとした重い雲の空の色…荒れた海、波の音がさらに気持ちを重くする。
そんなときは眠ろう、とにかく目を閉じて、やるせない気持ちも眠ってくれることを願いながら私も眠ろう。
きっと明日の朝は真っ青な空、明るい太陽。今日やることだけを考える。そうすれば昔のことは思い出さないし、やるせない気持ちもしばらく寝ていてくれるはず。
だから今夜は早く休みます。何も考えず、ただひたすら目を閉じて、深い眠りに身をまかせて…
【いつまでも捨てられないもの】
★子どものもの(関わる物)
・捨てられないのよね〰️💦
子ども自身に判断してもらいたいけど帰省しても寝てばかり(泣)だから片付かない
★いつかはやりたいんだけど学びたいと思っていることに関わる物
・いつかはソーイングや編み物をしようと買っておいた本や自学自習しようと思って買っておいた英語の本、いつかは見ようと録画しておいたDVDなど…さてさて、その「いつか」はいつなのか、何月の5日なのか?もしかしたら永久にこない「いつか」なのだろうか?と思うと泣けてくる(笑)
★執着
・やりたいと思う気持ち、やれるはずだという変な自信、きっとやるはずだという根拠のない思い。それら全ては執着なのだろう。執着を捨てられたら、もっと楽に生きられるのではない、もっと片付いたところで過ごせるのではないかと思う。
★自分の命
・自分では解決できないトラブルを思うと、もういいや、生きていても楽しいこともないだろう、いつ死んでもいい、と思うのに…心のどこかでまだ死なないはずだ、死にたくない、と思ってる。自分で自分の命は捨てられない私がここにいる。
【目が覚めるまでに】
目が覚めるまでに
私の心の奥の深い悩みが解決していてほしい。
それが叶わぬなら、目が覚めなくても良いのだけれど…
それでも生きていれば目は覚めてしまう。
そして私は深い悩みを忘れたふりしてまた1日を過ごす。
【病室】
私は先天性の障害があったので乳児の時にも入院していたらしいが記憶がないので、私にとっての初めての入院は切迫早産の時だった。初めてのお産、初めての入院…安静を言い渡され24時間の点滴生活は私の心を蝕んだ。
ベッドで天井を見ていると天井の模様というかシミというか、それらが虫に見えてきて形を変えて動いてるようにさえ見えた。心細くて不安だったのだろう。
それだけではなく肌掛け布団のカバーに小さな虫がいる、と実家の母が来たとき私は訴えた。私としては本当に見えたので「ほら、ここにいるでしょ!」と言ったが、母には見えなかったらしく、困った顔で私を見た。本当にいたと思うのだが、見えたのは私だけだったのかもしれない。
入院生活は3ヶ月を越えた。産婦人科でこんなに長く入院する人は少なかったので病棟の主になっていた。出産後もすぐには退院できなかった。他の赤ちゃんは1週間で退院していくのに私が発熱したため子どもと2週間いたため、新生児室では頭ひとつ大きくなった我が子がいた。
病室は独特なところだ。重苦しい空気、いろんな病状の人がいるので話す言葉も選ばなくてはならない。そしてなんとも言えない孤独感。頭は暇だから悪いことしか浮かばない。病室でポジティブにいられる人がいたら尊敬に値する。毎日、見舞いに来る家族もあれば1週間に1度も来ない家族もいる。
元気でいるときは、寝ていられるなら入院したい、と思ったりしたが、やはり健康が一番だと教えてくれるのは病室だ。
その後は2度ほど1泊2日の検査入院した。検査を終えて結果を聞くまでは生きた心地はしない。今度こそは痩せて体には気をつけようと自分に言い聞かせるが、異状なし、と言われたとたん暴飲暴食をしてしまう。自分の意思の弱さを思い知る。
そう思うと、たまには病室で反省する時間を過ごすべきなのかもしれない。