叶えたいことというのは、言葉にすると良いそうです。
たとえば自分のお店を開くとか、海外旅行へ行くだとか。たしかに、自らの楽園を求めて一歩を踏み出す、そんな気持ちになれるかもしれません。
あなたの楽園は、どんなところですか?
悪いことをしたわけではないのに、いつも罪悪感を覚えています。相手に喜んでほしくてしたことなのに、後悔することがあります。言わずにおればよかったことと、言わなくてはならなかったことを違えて、のちのち気を悪くさせてしまったことがあります。いつまでもそんな後悔を引きずって、だめになってしまうことがあります。
世間一般で言う善悪の区別はついています。でも自分の周りのひととの関わりの中で、どちらなんだろうと思い悩むことがたくさんあります。
その人にとっては、の判断が難しいのです。積もり積もってだめになって、脳も顔もぐしゃぐしゃになっていく。大事な人をだいじにできなくなっていく。
善い事とは何でしょうか。悪い事とは何でしょうか。
誰か隣で、わたしに教えてくださいませんか。
誰か隣に、居てくださいませんか。
たとえばトランプの大富豪、いえ、大貧民でしょうか。呼び方もその場所で違うこの遊びは、ご当地ルールも数多く存在します。毎度みんなで確認をしつつ、楽しく遊んだ思い出がございますが、あのルールたちは、いつどこで、誰がどうやって決めたものなのでしょうか。
何となく、とかあの人が言っていた、とか、あの時はそうだった、とか。そんな風にして出来上がった『きまり』が、この世にはたくさんあるように思います。やわらかいものも、こりかたまったものも、大小も様々です。人として生きていると、守らなければならないことがたくさんあって大変ですね。
ああ、面倒くさい!
とある男性ユニットの方が歌われているこのタイトルの曲が大好きで、よく聴いています。
やさしく切なく刺さる歌詞とあたたかな自然を感じる曲調が、堪らなく魅力的なのです。
そして、わたしの目からこぼれていった感情の雫たちを、幾度となく拭ってくれたのです。
こうして話していたら、何だかまた聴きたくなってまいりました。
よろしければあなたも一緒に、いかがですか?
何もいらない、と言えたのなら、どんなにすてきなことでしょう。生きていくには、必ず命の犠牲が伴います。それを買うのには、お金が必要です。お金を手に入れるには、働く場所が必要です。働く場所さえ、働く人が必要です。それに加え電気、水、火、自然のもの。
いらないものがないのです。でも、欲すれば欲するほど、消費していきます。人は寿命や精神を捧げ、欲しいもののために、必要なもののために消費をするのです。
今欲しいものですか?
前向きな心です。