巡り会えたら
最近、私はよく夢をみる。
断片的で夢から目覚めてしまえば、殆ど覚えてはいない。
まあ、そういうものだろうけど。
夢について覚えていることは、場所はいつも、大きい丘のうえで、時間は夕方から夜にかけてって感じだ。
あと、人がひとり、男の子で優しそうな顔でいつも笑っている。
夢の内容はただその男の子とずっと話しているだけ。
それだけなのに、その夢から目覚めると、いつも泣いていた。何故かはわからない。
でも
「(会いたいな)」
奇跡をもう一度
常識で考えてみれば、「ウソだ」と、誰しもが云うであろうミラクルには、回数制限はあるのだろうか。
例え望み、望まなくとも、そう何度も起きてしまえば、其れはミラクルではなくなってしまうから、一度っきりなのだろうか。
危機一髪で生きた僕はもう奇跡使ってしまったから。
だから、君が生き返る「奇跡」なんてことは起きないのだろうか。
別れ際に
此方に背中を向けて歩いている彼をぼんやりと眺める。
「愛してるー!」
という愛の言葉は心の中で叫ぶことにした。
心の中で、常に思ってる私の気持ち。
今のところ、恥ずかしくて、口に出すつもりはない。
大事にしたい
大事にしたい、もの?ひと?
何でも良いってことかな。
家族とか仲良くしてくれている旧友とか?
もので言うなら、小さい頃クリスマスプレゼントで貰った
リ◯ックマのぬいぐるみかな。
思い返すと沢山あるな…。
日頃の感謝でもさりげなく伝えてみるか。
ぬいぐるみは……ちゅーでもしようかな。
時間よ止まれ
願うは彼の幸せ。
我、寸秒の間、流星に想いを告げる。
いつの日か、もう覚えてはおらぬが、人伝で小耳に挟んだ話がある。
其れは、「流れ星に三回、願いを唱えるとその願いが叶う」と、云うあくまで噂話だが。
まあ実に、胡散臭い話であろう。自覚はしている。
しかし、そうも云っていられなくなった。
我に出来ることはこの程度のもの。
無心に願いを唱えるが、流れ星は異様にはやい。
それもそうか、と納得するも、これでは三回どこか、二回も願いを唱えることが出来まい。
あゝどうか、時よ、時間よ
(我ながら雑な締め方だな。時期も普通、七月とかだろうに。)