夜明け前
朝なんて、来なくていい。
君がそう言うから。
だから、僕は夜明け前を作ったんだ。夜と呼ぶには明るすぎて、朝と呼ぶにはふさわしくないくらいに暗くて静かすぎるその時間を。
朝なんて来なくていい、と泣きながら語る君が少しでも朝に慣れるように。いつか、君の笑顔が太陽よりも眩しくなることを祈って。
もう少しだけ、君と夜の時間を。
本気の恋
「……好きです、先生」
震えたその声が、ふりしぼったその勇気が、どれだけ本気なのかを物語るから。泣きそうな私とは裏腹に、驚くその人を見て、下手くそに笑う。
「結婚、おめでとうございます。……私、先生のこと大好きだから、嬉しい」
付け加えた言葉たちが、本当を、まるで冗談かのように塗り変えていく。照れくさそうに微笑むその人に手を振って、足早にその場を去った。
皆が皆、その恋はまやかしだと言った。あまりにも愚かだと、それは恋ではなく憧れだと。誰もがそう言ったのだ。
それでも、あの人だけは違った。
私のくだらない恋の話を聞いて、あの人だけは優しくこう言ったのだ。
「そうかぁ、……それは素敵な恋だね」
すくいあげられた心がようやく息をしたような気がした。
今ならよく、わかるんだ。この恋がいかに愚かで望み薄だったか。
でもね、ちゃんと本当に、本気だったんだよ。だって、今もまだこんなにも、痛い。
ああ、でもね、決して無駄ではなかったから。キラキラと輝いていた日々も、こんなにも痛い胸も、全部全部私のものだから。
おめでとう、って今度はちゃんと笑顔で言うんだ。
カレンダー
少しずつ埋まっていく予定に、安堵した。
あの日から埋まることのなかったカレンダーが、今ではそのカレンダーの機能を果たすかのように予定で埋まっていた。
よかった。予定という約束がある限り、死ぬわけにはいかないから。
親しい人たちとの約束、大切な自分との約束。
今日も、その約束を守るために生きるんだ。
喪失感
あと何回泣けば、いいんだろう。
目を閉じれば、思い出はたしかにそこにあって。それなのに、その思い出すらもだんだんと薄れていくから。
ああ、あと何回君がいないことに気がつけば、いいんだろう。
ふと隣に目をやったり、探すように手を伸ばしたり、静かすぎる部屋で自分のすすり泣く音しか聞こえなくて、また涙が落ちた。
拭ってくれる人は、もう、いない。
それでも生きていかなくちゃ。そう思うけれど、せめてこの喪失感を味わいつくすまでは、すがらせてよ。
世界に一つだけ
全くもって同じものはないのだから、全部が全部、世界に一つだけ。
そう思えたら、楽になれるのかな。楽になれる人は、いるのかな。