学生時代、毎夜20時キッカリに電話をかけてくれる異性の友人がいた。
友達以上恋人未満。
平たく言えばそんな感じ。
私は電話の子機を持って待機して、着信音が鳴った瞬間に電話に出る。
今日何があったとか話したり話されたり、明日の予定を話したり話されたり。
多愛ない話がほとんどで、いつまでも毎夜キッカリ電話をする仲から抜け出せない。
電話で話すのも楽しいんだけどね。なんて思っていたら、私も彼も話し終えたタイミングで沈黙が訪れた。
「あのさ、」「あの、」
同時に呼びかけてしまい、同時に先に話して、と譲り合う。
彼が先に言った。
「今度、二人で遊びに行かない?」
「う、うん。行く。行きます」
電話で日時を決めて、遊びに行きたい場所をいくつか出し合う。
その場では決まらず、また明日続きを話すことになった。
「おやすみ」「うん、おやすみ」
電話を切ってからパソコンを立ち上げて検索をして、候補の場所を調べてみる。
明日、彼と楽しく話ができるように。
自分が思った以上に彼との電話を楽しみにしていることに気づいて、私はまた検索したサイトの案内に目を凝らした。
Ring Ring …
朝の昇降口に入る前、
強い向かい風に舞った砂が目に入って痛みに目を瞑った。
目を瞬かせて涙と共に砂を流して俯いた顔を上げたとき、
前を歩いていた君が僕の方を向いていた。
君は追い風を背に受けて、
下ろした髪が顔周りを覆って靡いていた。
逆光に浮かび上がる髪を抑える仕草に暫し見惚れた。
憂いを帯びたその表情が美しいと、
僕が伝えることができたなら。
追い風を受けて君が僕の元へよろめいてくれたら、
僕は君を全力で受け止めに行く。
だけど風は止み、君はくるりと向きを変えて昇降口へ吸い込まれていった。
追い風は向かい風になる。
その逆も然り。
僕や君の身体の向き一つで風向きは変わる。
風は止むこともある。
風に当たらないようにすることもできるけれど、
それは傷つかない代わりに何も生まれない。
何かを生んでみようか。
風上で君を待っていても、君は向きを変えて僕の元へは来ないから。
再び吹いている向かい風を正面から受け止めて、
憂いを帯びたその顔を思い出して、
君がいる教室へ向かった。
追い風
君と一緒に日々を過ごしてきた。
お腹の中に宿してから、18歳の今日まで。
私そっくりに絵本を諳んじる幼少期から、まともに返事をしてくれない思春期まで。
もうすぐ共通テストだね。夜遅くまで塾通い。高校3年生の受験ってこんなに大変なんだと、君を通して学ばせてもらっている。
受験は団体戦なんだって。皆んなで頑張るものだって。
お母さんのチカラは非力と言うか、何の役にも立っていないかもしれないけれど、ちゃんと応援しているから。頑張れガンバレって言うのも君にとって五月蝿く感じそうだし、応援って難しいね。
美味しいご飯だけは作るから、後悔しないように頑張ってください。
君と一緒に
宮島さんの頭に触れる。「ありがとう、やり易かったよ」と彼女の処置を褒めながら、少し冷んやりとした手触りの良い頭皮に触れる。
宮島さんは、笑みをこぼさないように俯き、唇を結んで耐える。でもさ、長い髪をお団子に結んでいるから、赤く染まっている両耳が良く見えるんだ。
俺に触れられて幸せそうな宮島さん。俺もさ、幸せだよ。キミが嬉しいときは俺も嬉しい。
俺は多分、だらしなく笑ってる。宮島さん、顔を上げてみたら?俺と両想いだってわかるから。
……今更、こんな夢を見るなんて。
宮島さんのいる総合病院をやめて、外科クリニックを開業した今になって。思い出の人のはずなのに。
妻が隣のベッドで眠っている。学生時代から寝顔が可愛い人だった。今も穏やかな寝顔はあどけなくて可愛い。愛おしい女性(ひと)
暫く見つめていると、妻の睫毛が震えてゆっくりと瞼を開けた。
「…いま…何時…?」
「5時。まだ眠れるよ」
眠気が強くて舌足らずの喋り方があどけなさに拍車をかける。
手を伸ばして頬にかかった横髪をそっと耳へかけると、妻が俺を見上げた。
「そっち、行っても良い?」
「良いよ。おいで」
掛け布団を捲り上げて、妻を俺の布団へ入れる。二人とも自然にお互いの身体に手を回して柔らかく抱きしめ合う。
おでこにキスをして、もっと深く胸元に妻を抱きしめる。学生の頃から、夜を共にしたときはこうしてきた。
「…おやすみ…」
「うん、おやすみ」
妻はかなり眠かったらしく、目を閉じてすぐに穏やかな寝息が聴こえてきた。
好きな人と過ごすこんな時間が幸せだと、人は言うのだろう。
俺は…宮島さんとこんな時間を持ちたかったのだろうか。妻の幸せを犠牲にしてまで?
…違う気がする。妻には満ち足りた幸せを与えたい。俺が宮島さんのことを考えることが幸せな時間だとしたら、それは、妻が不幸せになっているということ。
今、こんなにあどけない幸せそうな寝顔を、俺が壊すわけにはいかない。
自分が開業したクリニックの午前診療を終えた。午後は休診でゆっくりできる。妻も夕方には大学を出られると言っていた。大学院で博士号をとるために頑張っている妻。たまには一緒に外食にでも行こうか。
大学の最寄りの駅で待ち合わせて、妻と都会の雑踏を並んで歩く。
お互いに忙しくて、イルミネーションが輝く街を歩くなんて久しぶりだ。腕に掴まらせて歩幅を揃えて歩く。大学病院で一緒に働いていたとき、いつも急かされるように早歩きしていた俺たち。妻が本当はのんびりと歩くのが相変わらず好きなことに気づいてからは、二人で並んでゆったりと歩いている。
大きなスクランブル交差点で信号待ちをしていると、交差点の渡った先で、宮島さんと佐々木先生が歩いているのが見えた。宮島さんと佐々木先生の手は佐々木先生のコートのポケットの中に入っている。2人は手を繋いで、宮島さんが佐々木先生を見上げているのがわかった。
なんとも言えない寂しさが胸に去来する。と同時に、安堵も感じている。
宮島さんが幸せそうで良かった。やっぱり、佐々木先生が宮島さんの寂しさを受け止めてくれると思ったのは正解だった。
宮島さんには幸せだと感じていてほしい。
いつも笑顔で…俺のときみたいに笑顔を隠さないで、好きな人と笑い合えるような関係性の人が良い。
何かあっても、佐々木先生が支えてくれる。彼は、とても穏やかで優しい人だから。
自分の幸せをひとつ手放すと、
妻と宮島さんの幸せが訪れた気がする。
どのみち、自分が宮島さんを幸せにできるはずがなかった。俺は、妻と別れる気は全くないのだから。
妻のことは愛おしい、守りたい存在。妻といて、自分が不幸せだなんて思ったことはない。
だからもう一度、妻だけを愛したい。
「自分のためだよ」と言いながら、その実、俺のために勉強して博士号を取得するほど頑張っているキミに。
絡められた腕を外して華奢な肩を抱く。
見上げられて驚いた丸い瞳に笑みが溢れると、妻が嬉しそうに微笑んだ。
この夜の幸せを噛み締める日が、いつかきっと。
幸せとは
私の部屋は東の角部屋。
出窓ほどの小さな窓には高校生の私が選んだパステルカラーのドットのカフェカーテンがかけられている。遮光性はなく、陽が上れば室内は明るくなる。
早朝、カーテンを開け放つと朝焼けが見える。
低山の稜線と蒼色から濃赤色のマジックアワーはまるで太陽が空に彩の魔法をかけたように神秘的。特に、蒼色の空に紅の雲がたなびく朝焼けは格別だ。そして色彩は移り変わる。それに気を取られていると、眩い白い閃光のような日の出が訪れた。
美しい景色と冬の寒さも相まって、私の脳は覚醒する。
吹奏楽部の定期演奏会まであと1ヶ月。
定演の開催場所を文化会館の大ホールか中ホールで行うか顧問と部員で対立して、大ホールで行うと決定したのは昨年の夏のこと。
それぞれの楽器のパートリーダーのソロの演奏がある楽曲はノリノリの曲なのに、今ひとつ部員の士気は上がっていない。
朝焼けには、運気アップという意味があると言う。
朝焼けの赤い雲は、近いうちにモチベーションが上がるような出来事が起こるという意味があると言う。
スピリチュアルを全面的に信じているわけじゃないけれど、でも、こんな素敵な朝焼けなら、意味を込めて信じても良いのかもしれない。
初日の出の写真を撮ってから、吹部のグループラインを開く。
2025年になった瞬間に、たくさんのあけましておめでとうのスタンプが連続している。
私はそこに、あけましておめでとうのスタンプと初日の出の写真を貼る。
定演、頑張ろ!ソロの練習、頑張ろ!
メッセージを送る。
昼までにはたくさんの了解スタンプが送られてきた。
中には、練習始めてるよ、と写真付きの報告も。
皆んな、頑張ってるなぁ。
私は楽器ケースから自分の楽器を取り出した。
日の出