宮島さんの頭に触れる。「ありがとう、やり易かったよ」と彼女の処置を褒めながら、少し冷んやりとした手触りの良い頭皮に触れる。
宮島さんは、笑みをこぼさないように俯き、唇を結んで耐える。でもさ、長い髪をお団子に結んでいるから、赤く染まっている両耳が良く見えるんだ。
俺に触れられて幸せそうな宮島さん。俺もさ、幸せだよ。キミが嬉しいときは俺も嬉しい。
俺は多分、だらしなく笑ってる。宮島さん、顔を上げてみたら?俺と両想いだってわかるから。
……今更、こんな夢を見るなんて。
宮島さんのいる総合病院をやめて、外科クリニックを開業した今になって。思い出の人のはずなのに。
妻が隣のベッドで眠っている。学生時代から寝顔が可愛い人だった。今も穏やかな寝顔はあどけなくて可愛い。愛おしい女性(ひと)
暫く見つめていると、妻の睫毛が震えてゆっくりと瞼を開けた。
「…いま…何時…?」
「5時。まだ眠れるよ」
眠気が強くて舌足らずの喋り方があどけなさに拍車をかける。
手を伸ばして頬にかかった横髪をそっと耳へかけると、妻が俺を見上げた。
「そっち、行っても良い?」
「良いよ。おいで」
掛け布団を捲り上げて、妻を俺の布団へ入れる。二人とも自然にお互いの身体に手を回して柔らかく抱きしめ合う。
おでこにキスをして、もっと深く胸元に妻を抱きしめる。学生の頃から、夜を共にしたときはこうしてきた。
「…おやすみ…」
「うん、おやすみ」
妻はかなり眠かったらしく、目を閉じてすぐに穏やかな寝息が聴こえてきた。
好きな人と過ごすこんな時間が幸せだと、人は言うのだろう。
俺は…宮島さんとこんな時間を持ちたかったのだろうか。妻の幸せを犠牲にしてまで?
…違う気がする。妻には満ち足りた幸せを与えたい。俺が宮島さんのことを考えることが幸せな時間だとしたら、それは、妻が不幸せになっているということ。
今、こんなにあどけない幸せそうな寝顔を、俺が壊すわけにはいかない。
自分が開業したクリニックの午前診療を終えた。午後は休診でゆっくりできる。妻も夕方には大学を出られると言っていた。大学院で博士号をとるために頑張っている妻。たまには一緒に外食にでも行こうか。
大学の最寄りの駅で待ち合わせて、妻と都会の雑踏を並んで歩く。
お互いに忙しくて、イルミネーションが輝く街を歩くなんて久しぶりだ。腕に掴まらせて歩幅を揃えて歩く。大学病院で一緒に働いていたとき、いつも急かされるように早歩きしていた俺たち。妻が本当はのんびりと歩くのが相変わらず好きなことに気づいてからは、二人で並んでゆったりと歩いている。
大きなスクランブル交差点で信号待ちをしていると、交差点の渡った先で、宮島さんと佐々木先生が歩いているのが見えた。宮島さんと佐々木先生の手は佐々木先生のコートのポケットの中に入っている。2人は手を繋いで、宮島さんが佐々木先生を見上げているのがわかった。
なんとも言えない寂しさが胸に去来する。と同時に、安堵も感じている。
宮島さんが幸せそうで良かった。やっぱり、佐々木先生が宮島さんの寂しさを受け止めてくれると思ったのは正解だった。
宮島さんには幸せだと感じていてほしい。
いつも笑顔で…俺のときみたいに笑顔を隠さないで、好きな人と笑い合えるような関係性の人が良い。
何かあっても、佐々木先生が支えてくれる。彼は、とても穏やかで優しい人だから。
自分の幸せをひとつ手放すと、
妻と宮島さんの幸せが訪れた気がする。
どのみち、自分が宮島さんを幸せにできるはずがなかった。俺は、妻と別れる気は全くないのだから。
妻のことは愛おしい、守りたい存在。妻といて、自分が不幸せだなんて思ったことはない。
だからもう一度、妻だけを愛したい。
「自分のためだよ」と言いながら、その実、俺のために勉強して博士号を取得するほど頑張っているキミに。
絡められた腕を外して華奢な肩を抱く。
見上げられて驚いた丸い瞳に笑みが溢れると、妻が嬉しそうに微笑んだ。
この夜の幸せを噛み締める日が、いつかきっと。
幸せとは
1/6/2025, 10:12:54 AM