『街の明かり』
電気のない時代の照明は火だったので、今よりも月が明るく見えたのだそうです。
街の明かりは、地上に散りばめられた星のようにも見えますが、空の輝きを半減させているのですね。
星や月は「1,000年前でも変わらぬもの」と、思っていましたが、平安時代の人々が見ていた星や月は、もう見られないのかもしれません。たとえ同じものであったとしても、見え方が違うのは、大きな違いですね。
明るすぎる街の明かりは、文明の灯火。
文明は空の輝きまで吸収して、何を照らすのかしら。
『友達の思い出』
高校時代からの親友がいます。お互いに家庭環境が複雑だったので、「思い出」というと家庭の事情が真っ先に浮かびますが、ここには書けそうにないです。
今でも、何でも話せる親友なので同じ高校で同じクラスで席が近かった彼女との出会いは人生に於いて宝物です。
わたしも彼女も地毛が茶色いので、入学早々に先生から地毛の確認をされたのが懐かしく思います。
『七夕』
就学前の七夕で、短冊に「ランドセルが買ってもらえますように」に書いたことをやけに鮮明に覚えています。
当時は母子家庭及び極貧だったため、ランドセルを買ってもらえない不安があったのかもしれませんが、その辺はよくわかりません。
もちろん、願いは叶いました。
ランドセルを初めて背負った時の喜びも、鮮明に覚えています。
『星空』
フッと、「星って、数えたことないかも…」と、お題を見て思いました。
星空を見る機会はたくさんありますし、子供の頃から見上げてきましたが、流れ星を数えることはあっても、静止して見える星は数えたことがないように思います。
地球から肉眼で見える星は約4,300個らしいので、頑張れば数えられなくもない気がしてしまいました。
いい条件で星空を見るチャンスがあったら、数えてみたいですね。
『神様だけが知っている』
あるメーカーの200mlのパックの野菜ジュースをよく飲むのですが、飲み終わったあと、パックの上部を開ききれいに潰すと「たたんでくれて ありがとう」と書いてあります。
たたんだ人にしかわからないメッセージで、わたしは、これが見たくて、このメーカーを買うようになりました。
この「ありがとう」を気にしている人が世の中に何人くらいいるのかは、神様だけが知っていることかもしれませんが、メーカー側のアイデアとセンスが光るメッセージだと思います。
『この道の先に』
わたしの歩んでいる道は、平凡な道なので、苦労らしい苦労もしてきていないけど、その分、この道の先には苦労が待ち構えているのかもしれない。
その苦労を乗り越えられるように、道標は、自分で用意しておこうと思う。