理想のあなた
バーを出たのは、とうに0時を回った深夜だった。冷たい夜風が熱った頬を撫でていく。しかし、酔った頭がシャキッとする、そんな時間は与えられない。音もなく、目の前に一台の車が停車した。
黒のポルシェ。助手席のドアが開いて、私は半ば倒れ込むように、ふかふかのシートに沈む。滑るように走り出した窓の向こう、ネオンサインが線をなして消えていった。
お疲れ。楽しかったみたいだね。
私を愛おしそうに見下ろすのは、誰もが羨む美男子。新卒2年目のサラリーマンだが、父が財閥の重鎮であるために、エリートコースを一足飛びに駆け上がっている。そこそこ、と答えて目を瞑る。酔った頭でぼんやりと考える。きっと今日も、私は彼の家に泊まるのだろう。そして明日は昼過ぎに起きて、ポテチの代わりに三つ星ホテルのスイーツを食べるのだ。彼の帰りを待つ間、専属の執事が、私の機嫌をとってくれる。ああ、幸せ。幸せなのだと、言い聞かせて生きている。
***
バーを出たのは、とうに0時を回った深夜だった。冷たい夜風が熱った頬を撫でていく。酔った頭がシャキッとするのを待って、スマホを開く。着信10件、通知20件。うっっわ。顔を顰めながら、ワンタップ。
やっと既読ついた!遅くね。どこいる?今から行く。
同窓会だから遅くなるって言ったじゃん。駅前のバー。ほら、前に一緒に行った…
音もなく走り来たポルシェが、古い友人を乗せて去っていく。あの子、結局最後までニコリともしなかったな。昔はよく笑う子だったのに。ポルシェの走り去った方をぼうっと眺めて、どれくらいたったか。意識が飛びかけていた私は、背後から近づく彼に気づかなかった。どん、と軽い衝撃があって、抱きしめられる。
ちょ、やめてよ、街中だよ?
…マジ返事くらい返せよ、心配したっての。
ぎゅうう、抱きしめてくる力が強くて、私はため息をつく。毎回こんなじゃ、先が思いやられるなぁ。
ごめんってば。…来てくれてありがとう
明日の仕事帰りは彼に何か買っていってあげよう。ポテチとビール。幸せの味だ。
・まだ続く物語
「そういえばシンデレラさん、離婚したんだってね?」
うららかな春の午後、かつて村の英雄であった中年おじさんは、傍の女性に話しかけた。
「ええ。この歳まで連れ添ったのに、どうかと思いましたけども、王子様のパワハラ癖が年々ひどくなってきまして。昔、国中私を家来に探させたってのも、今思えば、ねえ?」
答えるのは、かつて国母であった初老の女性、シンデレラ。年をとっても衰えることのない美貌と知性は、今なお、周囲の男性を惹きつけてやまない。
「あー…なるほどね。確かに家来を蔑ろにするのは許せないな」
自分ごとのように怒る中年おじさん…その真意がどこにあるのかは、言わずもがな。
「桃太郎さんはみんなから慕われていますからねぇ。犬さんたちはご健在?」
頬を赤らめながら、中年桃太郎が続ける。
「ああ、もちろん。ちょうど明日、改心した鬼たちも一緒に同窓会をやるんだけど…」
シンデレラさんも来ないかい?その言葉は、尻すぼみになって消える。ふふ、っとシンデレラが笑う。
「いやですわ」
だって。
「二人がいいわ」
名前の通り、桃色に染まる桃太郎のほおを愛おしげに眺めながら、シンデレラは考える。
そういえば最近、お菓子の家の魔女が殺されたらしい。初デートはそこにしよう、なんて。
・渡り鳥
怠け者で、不遜で、自己チューで、世界の中心は自分だと思っていて、それ故に危険を顧みない。またそれ故にときどき、人をやきもきさせる。
ああ、なんて愚かな。
横断歩道の上、車に轢かれて死んだカラスが、じっとりとこちらを見ていた。