日記に関する本を読んだ影響で、最近日記を書いている。と言ってもまだ始めて2週間ほどだし、数日分まとめて書くこともある。
意識しているのはその日の出来事を書くのではなく、その出来事によって思ったこと考えたことを書くということ。
私の場合、特にマイナスの感情はSNSに書こうとすると、この表現で大丈夫だろうか言いたいことがそのとおりに伝わるだろうかこの内容をフォロワーに見せていいのだろうか…といろいろ考えてしまって、結局本音を書けないままになることが多い。
夜、日記帳を開いて一日を思い返しながら文字を書くと、気持ちも落ち着いてくるような気がしている。
継続というのが苦手なのでいつまで続くかはわからないが、自分との対話の時間を大事にできたらと思う。
本を読むのが好きだ。
本を読むメリットについていろいろ言われていたりするけれど、私が本を読むのは楽しいからだ。
小説でも実用書でも図鑑でも絵本でも、読んでみたいと思った気持ちを大事にしてほしいと思う。
そして誰かが好きな本に出会う手伝いをできたら、とても嬉しい。
愛の大きさを物量ではかる風潮がある。
痛バに缶バッジを何個つけた、とか。
グッズをたくさん買った、とか。
公演に何回通った、とか。
私は愛というものの大きさははかれるものではないし、他人と比較するものでもないと思う。
何かを、あるいは誰かを好きだと思う気持ちは人生をポジティブにしてくれる。
でもそれが、ここまでやらないと愛ではないという思い込みや、他人と比較したものになった途端、苦しみに変わってしまう。
対象がエンタメの場合は特に、お金を落とすというのは大事なことだ。
でもそれは、趣味に使える範囲でいい。
愛というものは物量に頼らなくても表現できるし、自分の心が潤うものだと思う。
私たちにはそれぞれ違いがあって、その違いが「私」を作っていると思う。
そうしていろんな人たちがいるのをカラフルと表現したりするけれど、それぞれの色は見る人によって、あるいはその時の気分によって、綺麗だと思うかもしれないし自分に似た色だと思うかもしれないし、汚いと思うかもしれない。
カラフルという言葉のイメージから綺麗な色だけがあるような勘違いをしてはいけないのだと思う。綺麗と思うものも汚いと思うものも、すべて等しくそこに存在しているし、そんなごちゃごちゃとした雑然とした景色が、世の中というものなのだと思う。
それでも。私という色が、誰かにポジティブな印象を与えられたら嬉しい。
季節の変化を感じる瞬間にはいろいろなものがあるが、私が最も意識するのは仕事を終えたときの日の高さかもしれない。
真っ暗だった冬から徐々に沈む前の夕日を拝めるようになってくると、ああもうすぐ春だなと思う。
帰宅の準備をしつつ、ふと職場の窓から眺める夕日が私は好きだ。