手を伸ばしても届かないことに悲しみや諦めを感じることも多い。
でも届かないからこそ、その輝きに焦がれ、思いを馳せ、夢を見たり、どこかの誰かとの繋がりを感じたり出来る。
きっともう会えないあの子とも、この星の下でなら、繋がっていられるような気がして追いかける。
なんか人と違うみたいだから、腕切ってみた。
会話に入れないし、馴染めないし。多分空気も読めないっぽいから宇宙人にわんちゃんかけたの。
ほら、これで青い血でも流れてたら安心できるかなー、なんて、
深く切っちゃったみたいで痛かった。でも深くなくても痛いんだよなって当たり前のこと考える。
左腕には天の川みたいな青くて深いきらめきを信じてたんだけど、
そこにあったのはどうしようもない赤だった。
腕に傷があったりしたらまた何か変わったのかな
うまくいかないコミュニケーション、思考は空回り
相手の雰囲気でダメだったことを悟る
小さな劣等感の積み重ね
薬に手を伸ばす、余っていたのが良くなかった
勇気がない、中途半端にやめたから
自分に勝てなかった今日
ふと思い出す。
それはお風呂に入っている時、道を歩いている時、そして寝る直前。
小さい時のこと。
私は昔から泣き虫だったような気がする。
転んだ時、問題が解けなかった時、ババ抜きで負けた時、うんていで手の皮がむけてしまった時。
自分の意思とは反対に涙がとめどなく溢れてくる。
早く止めなきゃと思うほど頬に伝う水の量は多くなり、しばらく経てば鼻水も流れてくるのである。
そんな私に母は決まってこう言うのだった。
『泣かないよ』
私はその言葉が苦手だった。
背中をポンと叩かれてその言葉を言われる度、少しだけムカムカした気持ちになったことを覚えている。
こっちだって止められるものなら止めたい。
こんなに泣いた所で何にもならないのは自分がよくわかっている。
どうやったらこの溢れる涙を止められるものか示してほしいとすら思った。
すると、こちらの考えを見透かしたかのように母は続ける。
「止めるって気持ちがないから涙が止まらないんじゃない?痛くない、辛くないってずっと唱えれば自然と涙はひいていくもの。」
これを得意げに言うもので、私は幼いながら呆れていたような気がする。
でも幼い頃なんて親が全てだ。
私はその考えが正しいと思ったのか、それとも母の機嫌を損ねないために渋々従ったのか、次第に泣くことを我慢するようになった。
それでもやっぱり人間は泣かないなんてことはできない。
だから、どうしても耐えられない時は欠伸の振りで誤魔化したり、布団にくるまって声を押し殺していた時もあった。
今になってみるとあれは呪いの言葉のように感じる。
泣くという行為は、負の感情を綺麗さっぱり洗い流してくれるものだ。
自分が今日した失敗も、罪悪感も薄くしてくれる。
そうやって前を向いて明日を始められると考える。
私は今でも泣くことを我慢してしまう。
明日を始められずに、今日に取り残されたままの日が多かった。
泣かないよ。
その言葉がダムになって、頭のぐるぐるが堰き止められている。
そして、そのぐるぐるが大きな波になっていき、私に打ち付けられる。
内側から私を攻撃する。
もう無理です。嫌です。やめてください。自分はこんなこと考えたいわけじゃない。これは私のミスじゃない、あいつが悪い。駄目だよなんで自分の失敗を相手に押し付けるの。駄目人間だ。存在してはいけない。もう駄目だ。
泣かないよ。
私はいつかも分からない今日に取り残されたまま。
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泣かないよ
枯葉を踏む。
ザクザクとした音が心地よくて、今度は右前の葉へと踏み出す。
が、まだ瑞々しいそれは音をたてることはなく靴の裏に張り付いた。
柄じゃないな。こんなことをするなんて。
いつだって僕は彼女の後ろで、彼女のはしゃぐ姿を見ていた。
僕には下らないものでしかなかった。でも。
ただ葉を踏みつけるだけであるのに、そのひとつひとつに喜びを見出す彼女が愛おしかった。
彼女の瞳を通して、世界を見てみたいと思った。
彼女の瞳には僕はどう映っているのだろうか。
少しの幸せ。
それを胸にじんわりと感じながら、次のこの季節に想いを馳せた。
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枯葉