明日、もし晴れたら、ピクニックに行こう。ね?
君はお気に入りのギンガムチェックのワンピースを見せびらかしながら、楽しそうに言った。
彼女の小麦色の肌には、薄い黄色のギンガムチェックワンピースがよく映えた。きれいな笑顔は真っ白で、ももいろ。麦の香る不格好な帽子も、しゃらり優しい音を立てる草花も、全てが君のためにあるみたいだった。
No.4【明日、もし晴れたら】
誰かのためになるならば、の後に続くとすると、「この命も惜しくない」だとか「どんな努力もしてみせる」といった自己犠牲の文になるだろうか。
自己犠牲なんて高尚な考えは私の脳みそには無いし、あったとしてそのこころは放っておけば私自身に害が及ぶと思ったから、とかそんなんだろう。それはもう自己犠牲ではないし、世間の方々はよくもそんなに世界に献身的になれるものだと感心する。そもそも「誰かのため」を語るものが“本当に”それを想って自己犠牲をはらっているのか甚だ疑問である。
結局のところ全てエゴなのだ、きっと。
なんて厨二病くさく語ってみたけれど、多分いつだってポンコツな私は私のことで精一杯だし、世界だってそうに決まってる。そういうことにしておいてほしい。
No.3【誰かのためになるならば】
ねぇ、空のかたちって人によって違うんだって、知ってた?小さい頃はすごく広くてぼやぼやしてるんだけど、大人になるとみーんな、小さくてかちかちで、ほとんどなんにも見えなくになっちゃうんだって。
僕の空はね、きっとすごくきっちりした四角いやつ。別に特別狭かないんだけど、まんまるの端っこがよっつ、削れて見えてないんだよ。
君のは?僕が思うに君のやつ、きっとまんまるで、ふわふわで、ぺかぺかで、つるつるで。きれいなんでしょう?どんなふうにでも、なれるんでしょう?
あの時君が放った願いは、鳥かごのかたちをぐにゃり、曲げて。
No.2【鳥かご】
「友情」という単語のカバーする範囲はとても広いように思う。
ひとこと二言交わせばそこにもう友情は芽生えているとする人。たくさんの対話を重ねてお互いをじっくり ゆっくり理解してはじめて、それを友情であるとする人。些細なきっかけで瓦解してしまうもの。目には見えなくとも、どんなものより強く人と人とを繋ぎ止めるもの。
自分の中に、友情とはなんたるか?友情のあるべき姿 とは?という問いの答えを持つものは、自身の姿にも確固たる「こうあるべき」を持つのだろう。そしてそれを軸とした強い人生を歩むのだ、きっと。
友人も大して多くなく、「こうあるべき」も持たない私は、この短い文章をどう閉じるべきか考え倦ねている。こういう引き出しのなさと、機転の効かない感じ、友達いないのがよくわかる、なぁ。
No.1【友情】