誰かのためになるならば、の後に続くとすると、「この命も惜しくない」だとか「どんな努力もしてみせる」といった自己犠牲の文になるだろうか。
自己犠牲なんて高尚な考えは私の脳みそには無いし、あったとしてそのこころは放っておけば私自身に害が及ぶと思ったから、とかそんなんだろう。それはもう自己犠牲ではないし、世間の方々はよくもそんなに世界に献身的になれるものだと感心する。そもそも「誰かのため」を語るものが“本当に”それを想って自己犠牲をはらっているのか甚だ疑問である。
結局のところ全てエゴなのだ、きっと。
なんて厨二病くさく語ってみたけれど、多分いつだってポンコツな私は私のことで精一杯だし、世界だってそうに決まってる。そういうことにしておいてほしい。
No.3【誰かのためになるならば】
7/27/2024, 8:57:11 AM