健常者が起こす悪に近しい“狂気”か何か
狂人が起こす理解し難い“苦痛”か何か
理解には遠く及ばない、健常者の狂気を
ある線を越える事によって理解に至る。
だが、狂人の苦痛は常人には理解出来ない。
理解に至る前に除外し、消し、落とす。
それゆえに、狂人の全ての行動は
強行と錯乱、暴走と幻覚に至るものへと変わる。
望んで此処に堕ちた訳では無い。
なるべくして成ってしまった私が此処にいる。
もし、いつか
ここではないどこかで
この心理を理解し得るのならば、
私も、アナタも、再認識し、
狂人が何たるかを。
この苦しみは、如何なるものなのかを。
神様へ
どうか、私の感受力・創造力・思考力を
私の残ったモノ全てを葬り去った彼らを
微塵も残さず、抹消して下さい。
私が苦しみ、踠き、嘆く時
彼らは喜び、謳い、楽しむのです。
私が日々に怯え、恐怖し、慟哭する時
彼らは罵り、蔑み、悦に浸るのです。
人生というレールから外れたモノに
再起の機会は訪れないというのでしょうか。
正直に生きるモノが淘汰され、除外され
外道に徹するモノが生き長らえると。
それこそが狂気の沙汰、と
言うのではないでしょうか。
私の手で葬れるならば、どれほど良い事でしょう。
でも、今の私にはそれすら出来やしない。
身体も、精神も、頭すら動く事は無く、
ただ、苦痛に悶えて生きているのです。
神様よ
どうか、外道に徹する彼らを、
虚無と虚実の至るところへお導き下さい。
どうか、私が至ったこの虚構の此方へ
彼らの全てを含めて、お導き下さい。
どうか、彼らの全てを
葬って下さい。
モノであれ、ヒトであれ、トキであれ、
変わらないものは無い。
モノは劣化し、壊れ、無くなり。
ヒトは弱って、老いて、亡くなり。
トキは過ぎ、流れ、止まらない。
モノである限り、いつかは壊れ、
ヒトである限り、いつかは死を迎え、
トキである限り、それに干渉せずに流れていく。
でも、変わって欲しくないものもある。
いつも変わらず居て、
いつも話を交わし続け、
いつも同じ時間を過ごして、
ただ、それだけを望んでいる。
でも、それは叶う事はなく、
無慈悲に、意思とは反する方へと動く。
変わらないものはない。
でも、それだけは
変わって欲しくは無かった。
今年のクリスマスは、
来たる日の為の準備に費やす。
それは、ある人からすれば必然的な準備
そらは、ある人からすれば無意味な準備
それらを推す者たちにとっての宝地図
絵図を描き、路を描き、精査の限りを尽くすのみ。
一寸の狂いと迷いは出来ず、
全てを完璧に遂行するために
あらゆる想定を織り込み、考え、挑む。
目するは逆三角
戦場への前準備を行う限り。
ゆずの香りは、冬至のゆず湯より。
年の終わりを思うとともに、
新たな年をひた思う。
指先までをも凍てつかせるほどの
寒く、凍える夜に、
熱く、芯をも温めるあの湯は、
ゆず無しでは、成せないものだろう。
あぁ、今年も終わる。
ゆずの香に年を思い、
また、一年を終える。