「たしか、こんな感じで」
山下カナミはそう言って、倒れた俺に覆い被さる。
学校の階段の踊り場。放課後で人気はないとはいえ、他の生徒もいる時間だ。
「待て待て、そこまで再現しなくても」
「で、手はこう」
「聞いてんの?」
山下は床についた手の位置を微調整してうんうん唸っている。
俺の目の前には山下のまつ毛があって、俺の身体に彼女の柔らかいところが当たっていて、とにかくもうどうしていいか分からないので早くどいてほしい。
弁解しておくが、俺たちは別にやましいことをしているわけではない。山下が言う“あの時”の現場を再現しているのだ。
俺が階段を降りていた時、後ろにいた山下がつまずいて、俺もろとも下へ転がったのだ。幸い高さはなく二人とも怪我はなくて済んだが、その時のショックで、山下いわく“能力が覚醒した”らしい。
最近その能力が使えなくなったので、こうしてあの時の状況を再現したいと。そういうことらしいんだが。
「やっぱり実際に転げ落ちないとダメなのかな…」
「ひとつ聞いていいか」
「なに?」
「その“能力”って、一体なんなの」
「えっ」
気を紛らわすために聞いてみただけなのに、意外にも山下は戸惑ったようだった。
彼女は小さな声で、「みらいよち」と言った。
「へえ、何が見えたの?」
山下は急に俺の目を見つめ、それからみるみるうちに赤面した。
【お題:奇跡をもう一度】
「なーに?」
人混みの中、私は声を張り上げる。彼は遠くにいるわけではない。すぐ隣にいる。声が小さすぎるのだ。
電車間に合うかな。もう門限ギリギリなのに。
早く別れたいわけじゃない。授業のグループワークを言い訳にして彼を一日誘い出したのは私のほうだ。
二人で図書館で勉強したりカフェでお話したり、偶然やってた福引きを一緒に回しちゃったりなんかして、一等のちいかわの巨大ぬいぐるみが当たったらどっちが持って帰るか相談したりして、本当に当たっちゃうかもなんてワクワクしてたら結局ただの参加賞で、ポケットティッシュ二袋入りをもらって、彼はちいかわのイラストのある方を私にくれて。
なんだか今日一日だけ、本当に付き合ってるみたいでさ。すごく楽しくてさ。ここで別れたら、今日のことが夢みたいに消えちゃいそうでさ。
でも彼を困らせたくはないし、今日は良い日だったから良い日のままで終わらせたかったし、だから明るく「じゃあね」って別れようとしたら、彼がもごもご何かを言っている。
普段から声の小さい彼が、さらに小声になるものだから、全然聞こえない。
私は片耳に手を当て、背伸びをして、彼の方に耳を近づける。
彼はまた何かを言っている。今度はちょっと早口で。なにか言い訳をしているようだ。しかしやはり聞こえない。
「なにー?」
背の高い彼は身をかがめて、私の耳に顔を近づけた。
「アヤカさん」
彼の声が、近い。
「は、はい」
ちょっとでも動いたら、彼に触れてしまいそうで、私は身を固くする。
「好きです」
えっ。
思わず振り返る。照れくさそうに笑う彼と目が合う。
【お題:別れ際に】
通り雨だ。近くにあった古い店の軒先に駆け込む。
空は明るい。でも大雨。傘は持ってきていない。どうしよう。
どうもしなくていいや。急に何もかもどうでもよくなってしまって、地べたにそのまま座り込む。おしりが冷えるけど、どうだっていい。私は疲れている。
学校行かなくてもいいや。
遅刻しそうになって、急いで行こうとしたらこの雨だ。行くなってことかも。なんて都合の良いように解釈する。どうせ私一人いなくたって困る人はいない。給食のコロッケが余るからむしろ喜ばれるかも。
なんでこう、毎日毎日さあ、重い体を引きずってクラス内で逃げられない交友関係の中で愛想笑いして相手の話を盛り上げてさあ、やりたくもないこと、食べたくもないもの、そんなものに囲まれてさあ。
やんなっちゃったよ。
急に目の前がかげる。顔を上げれば、こちらに傘を差し掛けてくる仏頂面。
「遅刻するよ」
流行遅れのぱっつんストレートヘアに、色気のない黒縁メガネ。スカートは膝下の。うちのクラスの学級委員。
「いいよもう、どうせ遅刻だし」
「良くないから」
飾り気のない無骨なビニール傘を差し出される。せっかくサボる気になってたのにさ。
「学級委員だから仕方なく探しにきたんでしょ。ホントは私のことなんかどうでもいいくせにさ」
あーあ、別にこんなこと言ったって何も変わりはしないのに。
彼女はぽつりとこう言った。
「今日の給食、牛肉コロッケだけど」
「知ってる」
「あれ、美味しいよ」
変わり者の仏頂面は、いたって真面目な顔でそんなことを言う。
「知ってるわ、そんなん」
まったく調子が狂う。私はこれ見よがしにため息をついてみせて、それから「よいしょ」と立ち上がる。
雨は小降りになっている。
「ではいきますね」
扉がしめられ、小部屋には私一人になった。
【お題:心の灯火】
やっと描きあげた大作だけど、誇らしさはなかった。
壁のように立ちはだかるキャンバスに、ひたすらに絵の具を重ねた。目の前にある透き通ったそれを、自分の感じたままに、
【お題:誇らしさ】