好きな子の日記帳が教室の机の上に無造作に置かれていたら、そりゃ読みたくなるでしょうよ。
たとえその日記帳の上に伏せた籠が棒に支えられて置かれていて、日記帳を手に取ったらカゴに捕まるタイプの罠だったとしても、籠くらいならすぐ脱出できるし、命に別状はないので大丈夫だと思う。
もしその籠が鉛とかでできていて、内側にびっしりトゲが生えていたら危ないけど。そんな殺傷力のある籠はそもそも籠として機能しないし、おれは無印良品に売っているような普通の籠の方が好きだなあ。
で、日記帳である。なんで学校に日記帳持ってきてるんだ。家で書けや。
忘れて行ったのだろう。外は真っ暗で部活も終わるこんな時間じゃ、優雅に日記帳読書、いや読書という言葉は書を読むだからこの場合読日記帳か、分かりにくいわ、ともあれ紅茶とか淹れて小指なんか立て飲みながらゆっくり日記を1ページ1ページ読んでも誰も咎めるものはいないのだ。
でも実のところおれは紅茶そんなに飲まない。麦茶が最強だと思っている。
話題を逸らそうとしても無駄だ。おれはこの日記帳を読みたい。おれにとってこれは彼女の攻略本だ。何が好きか、何が嫌いか、そしておれのことをどう思っているか。
おれのこと? 日記に書くほどおれは彼女の視野に入れているのか?ただ隣の席の平凡なクラスメイトで、たまにグループワークするとか、それくらいの関わりで。おれについては何も書かれていないかもしれない。それはそれでショックだな。
それに本人に無断で日記帳を読むなんてやっぱりできない。しかしこんなところに置かれていたら、おれじゃなくても他の人の目につくかもしれない。
それなら中身を見ずに、本人の机の引き出しにそっとしまっておいてあげるのがベストじゃないか。でもそうすると、どう足掻いても日記帳には触れることになってしまう。うっかり手が滑って開いちゃったらどうしよう。
「丸山くん」
何か、こう、素手で触ってしまうのに抵抗があるならハンカチとか、シャツの袖とかを間に挟んで処理しても良いし。おれは危険物処理班か。そうだ。これは危険なものだ。でもいくら間接的に触れたとしてもその質量は手で感じてしまう。日記帳を持ってしまう事実は変わらない。
「丸山くんてば」
じゃあ引き出しを開けておいて、日記帳を棒か何かでつついて、引き出しに落とすようにするか。待て、そうすると彼女の引き出しを開けるというこれまたハードルの高いことをやらないといけない。
「何してるの?」
顔を上げると、日記帳の持ち主である花村さんと目があった。
「うわあああ!」
後ずさりしたら自分の椅子につまずいてバランスを崩し、そのまま着席してしまった。
「すみませんすみません何も見てません」
おれは持っていた筆箱を振り回した。これで日記帳をつついて引き出しに入れようとしたのだ。チャックが閉まっておらず、振り回したついでにシャーペンが数本飛び出して床に散らばった。おれは何をしているんだ。
「見てないって、何が?」
花村さんは日記帳を持ち上げ、表紙を開けて中からキャンディを取り出した。
キャンディ?
「友達からもらったの。ブック型のお菓子セット。かわいいでしょ」
花村さんはにこっと笑って、キャンディを一粒おれに渡した。
「遅くまでお疲れさま、学級委員くん」
日記帳、もといお菓子の箱をカバンに入れて、彼女は教室から出て行った。
そういうことか。おれは手のひらに乗せられたキャンディを見る。透明なフィルムに包まれているのは、水色のハート型キャンディ。
彼女からおやつをもらうなんて、初めてだ。
記念に写真を撮り、包みをあけて匂いを堪能し、意を決して口に入れる。甘い。
日記帳ではなかったけれど、これはこれで悪くない。
【お題:閉ざされた日記】
木枯らしが僕の初恋をさらっていった。
「ひゃー寒い!」
数メートル先にいる彼女が、そう言って隣にいる男にもたれかかった。
並木道の枯葉が風でカラカラと音を立てる。
クールで利発な人だと思っていた。一緒に図書委員として活動する中で、凛とした物腰とか、本を読む姿の美しさとか、そういうところに僕は惹かれた。
彼女は今、弾けるような眩しさで笑っている。寒さか、高揚か、頬を赤く染めている。僕の知らない男に向かって。
あんな顔するんだ。好きな男の前では。
渡そうとしていた手紙が、木枯らしになびいて手の中で暴れる。
もう終わった恋だ。切り替えた方が良い。彼女に伝えようとした言の葉なんて、一刻も早く忘れた方が良い。その方がお互いのため。
それでも、強風にもぎ取られそうになるそれを、僕は手放すことができなかった。
彼女が手を男に差し出す。男がそれを握る。
彼女の手は温かいだろうか。それとも冷えているのだろうか。
乾ききった冬の景色がにじんで、僕はこれ以上彼女の姿を見るのが耐えられなくなった。
もうこれ以上、好きになってはいけない。
【お題:木枯らし】
きみの首筋にアンタレスが光っている。
アンタレスとはさそり座の心臓にあたる赤い星。きみの白く美しい首筋に隠れているホクロのことを、僕は勝手にそう呼んでいる。
いつも髪を下ろしているから、ここにホクロがあることを知る人は少ないだろう。
でも後ろの席の僕は知っている。髪をかきあげるその時に垣間見えるその一等星を。
「ちょっと」
気がつけば、きみは怪訝な顔でこちらを向いている。
「何?」
「今見てたでしょ」
「何が?」
「私のこと」
「見てないよ」
「うそつき」
きみはまた前を向いてしまった。
……うん?
なんで真後ろにいる僕が見ていることに気づいたんだ?
きみの机の上で何かがキラッと光る。手鏡だ。
僕は知らなかった。その手鏡で、きみが僕の様子を見ていたことを。
【お題:美しい】
「こんな世界間違ってる!」
白雪姫はそう言って林檎を握りつぶした。
【お題:この世界は】
どうして、って言われても、困る。
世の中には、理由が分からなくともそこに存在するものはあるし、物理はその事実の根拠を見つかるための学問ではあるが、未だ解明されていない謎も多い。
そもそも私たちを構成する最小単位の原子だって、なぜ陽子と中性子から成り立つのか、なぜ電子がその周りをうろうろしているのか結局のところ分かっていないし、理由は分からなくとも、とにかくそこに「ある」ことを前提として話が進められる。
それならその「よく分からない原子」で構成されている私たちだって、なぜ存在が成り立ってるのか、どうして命が宿っているのか、考えるより、まずそこに「ある」ことを認めてしまった方が良い。
「本当にそうですかね」
「そうだよ。考えるだけ時間の無駄だ」
「ふうん。ところで先生」
真田は背中に回していた手を出した。手には四角い包み。
「今朝三時からめちゃくちゃ頑張って作ったこの弁当を、ただ毎週3コマ授業で顔を合わせるだけの先生に渡しますね」
「え、なんで」
「なんでじゃないですよ。理由なんて考えてもしょうがないんですよね。事実として受け取って下さい」
真田は僕に弁当を押し付けて、足早に去って行った。
【お題:どうして】