遠い日の記憶
記憶力悪いから昔の記憶とかさっぱりですわ。でも一つだけ明確に覚えている記憶がある。いや、今思い出そうとしたら結構あやふやだったわ。
でも起きた出来事自体ははっきりと覚えている。あれはそう、私が小学生の頃の話です。ところでこの、あれはそう、で始める語り口ってなにが元ネタなんだろう。
まぁそれはどうでもいいや。小学生の頃の帰り道で走馬灯を見たって話でね。なんでかは忘れたけどちょっと高い場所に登った時のことだ。
あれは石垣っていうのかな。呼び方がちょっとわからないけど石の壁みたいのを登ってたんだけど途中で落ちちゃって。そこで走馬灯を見た。
はっきりと時間の流れが遅くなったのを覚えている。幸い怪我はなかったけどあれは今までの人生で一度しか経験してない出来事だった。
あの頃は昭和で俺は子どもだったからな。危ないことや法的にだめだろってことも平気でやっていた時代だった。
しかしこうして文字に起こしてみると大したことのない出来事だな。俺にとっては一生忘れられない事件だったのだけど。
でも他人の体験談なんてそんなものだよな。大抵はふーんで終わってしまうことだ。
走馬灯を見た。それが俺の遠い日の記憶。それだけの話。
空を見上げて心に浮かんだこと
外に出て空を見上げればいいだけなんだけどこの季節は外に出たくない······。というか今の季節は外に出たら暑い以外の感想はない。
とは言ったものの昨日今日は雨のおかげでわりと涼しかったんだよな。まぁ涼しいといってもエアコンはつけてるけど。
気温はよくても湿度がやばいんだよな。それに部屋の温度計が熱中症の警告のところに針いってたし。なによりエアコンつけないと脳がゆだる感覚ある。
だから体感涼しくても温度計を見てやばそうだったら、もしくは脳が警告を発したら迷わずエアコンをつける。これが現代の生き方よ。
トイレいく時にエアコンが届いてない場所を通るんだけど涼しいんだよね。でもそこにも温度計を置いてあるんだけど見たら三十度近いんだからびびる。どうなってんだよ。
ここ何年かの暑さで気温に関するセンサーがバグったのかね。もう体感温度なんて信じられない。信じられるのは温度計だけだ。
まぁここ数日の涼しさは直射日光がないってのが大きいんだろうな。日の光がないと気温は高くても耐えられる感じする。俺はエアコンつけるけど。
終わりにしよう
これは完全に恋人が別れる時に切り出す言葉だな。つまり俺には縁のない言葉だ。
ほかにこの言葉を使うとしたらなにかやめなきゃいけないような習慣がある時か。酒とかタバコとかかな。
酒はもうやめたしタバコは元々吸っていない。ただ一つやめないといけないなって思いながらもやめられないことがあるんだよな。
それが食後のデザート。特に朝食を食べたあとは結構がっつり食べちゃうんだよな。このデザートさえ食べなければ痩せられるのにやめられない。
それに甘いものは糖尿病も怖いんだよな。だからもうデザートは終わりにしたいんだけど、どうしてもこれだけはやめられない。
手を取り合って
人は助け合って生きているんだよ。なんて言葉は今時死語みたいなものだな。資本主義全盛のこの時代では金持ち以外は社会のお荷物扱いだ。例えそれが社会に必要な職業であろうと。
なんだかタレントだのスポーツ選手だのがやたらと金持ちだけど本質的にはああいう人たちこそが社会のお荷物だと思う。はっきり言ってただの遊び人でしかないんだし。
でも人が生きるためには娯楽は大事ではある。だからああいう職業も必要なのは理解できる。ただああいう職業に金が集まりすぎとは思うけど。
まぁそんな底辺の世迷い言はどうでもよろしい。しかし今日は一雨きたから涼しいね。久しぶりにエアコンなしで過ごせるよ。
もう雨も止んだし久しぶりに買い物に出かけようかな。いろいろと欲しいものがあるけど今までは暑くて買い物にいけなかったからな。
優越感、劣等感
まぁこのどっちかだったら劣等感のほうが馴染みあるな。生まれも育ちもあまりよくないもので。
底辺とまではいかなくても下のほうだったのは間違いない。だから親が教育に熱心じゃなくて当然俺も勉強とかに力入れなかった。
頭が悪いのには教育だけじゃなくて遺伝子とかもあるんだろうな。結果、中卒のフリーターができあがったってわけ。
俺一人だけなら努力不足と言われても反論は難しいかもしれないけど兄も高校中退だからな。やっぱり頭のできとか学歴は環境に大きく依存すると思うわ。
そんなわけで俺はかなり強めの学歴コンプレックスを抱いている。それとシンプルに頭が悪いからそれにも劣等感があるな。
優越感はなんだろうな。ソシャゲのガチャで神引きした時とか?すげー頭悪そうな発言。実際頭悪いんだけど。
ま、とはいえ今さら人生をどうこうできないからね。年取ってから勉強して大学に、なんて人も時々聞くけど勉強にそんな興味も熱意もないんだよな。