匂いは記憶と直結しているとよく聞くけれど、私には季節と匂いと音楽が結びついた記憶が2つある。ひとつは汗のにじむ夏、メッツライチの刺激的な炭酸とイヤホンと蝉時雨。もうひとつは身も凍える冬、雪の舞うバス停の静けさと先輩が弾く月の光。
先輩のピアノは拙くてお世辞にも上手いとは言い難かった、けれども熱心に練習に励む背中に少しばかり好感があった。バスの時間が近づき、名残惜しいながらも部室を後にして寒風に巻かれながら冷たい空気の匂いをかぐ。日が沈んだ空から降りてくる雪のひとひらを街灯が照らす。それは本当に美しくて、月なんか出ていなくても充分に淡い光が差していたんだ。
燦々と輝く太陽が落とす細い光はいつの間にかなくなっていて
空から薄く暗いベールが一枚ずつかけられる夕暮れ
この毎日を歩いて行った先には何が有るのか?
何も無いんだろうか?
わからなくても歩かなければならない。歩くと決めた。
コロナ禍が始まってから何年も祖母のもとを訪れていなかった。
今年の祖母の誕生日、親に急かされて面倒がりながらも送ったメッセージ、ありがとう会いたいですと返信が来ていた。私は基本的にLINEなどは何日も未読無視するタイプで、当時も御多分に洩れずああ返ってきたと思いつつも開かずに放置していた。
数日後に祖母の訃報が届いた。
突然のことにてんやわんやの葬式を終え、あっという間に半年が経ったが、私は祖母からのメッセージを未だ開けないでいる。
私の未読は、会話を雑に終わらせないためにボールを持っておきたいという意思表示だ。このメッセージに既読をつけたら、祖母とつながった最後の糸が切れるような気持ちがする。
葬式の日の火葬場からの帰り道、車の窓から祖母の家が見えてきたとき、今すぐにでも玄関の扉が開いて、祖母が笑顔で出迎えてくれるような気がしてならなかった。あの温もりがまだ失われていないと思いたかった。
まだ当分既読はつけないだろう。
きみなんていないのさ
雨は足下を濡らすから嫌いだ
本当はみんなひとりだってわかっているでしょう
傘は自分で用意するの