この毎日を歩いて行った先には何が有るのか?
何も無いんだろうか?
わからなくても歩かなければならない。歩くと決めた。
きみと親しくなったのは翔んで世界を旅するゲームの中だった。きみの揺れる羽を見ながら隣で手を繋いで色んな話をするのが楽しかった。
久しぶりに連絡をとって実際に会いに行けることになった。思い出すと対面していなくとも私はきみに大きく影響を受けていた。初めてわかり合える他人だったんだ。自分は誰とも繋がれないと絶望しなくていいんだと思った。きっときみ以外にも誰かと繋がれるんだと今日まで希望を持って生きてこられたのは他でもなくきみのおかげだ。
少し前にきみと話した時きみの世界は前よりも大きく開いてさらに深くなったなと直感した。きみがこの数年でどんな経験をして何を学び思慮深さを増したのか、話を聞くのが楽しみでたまらない。元気でいるかな、今日も楽しい一日を送っていますように。
コロナ禍が始まってから何年も祖母のもとを訪れていなかった。
今年の祖母の誕生日、親に急かされて面倒がりながらも送ったメッセージ、ありがとう会いたいですと返信が来ていた。私は基本的にLINEなどは何日も未読無視するタイプで、当時も御多分に洩れずああ返ってきたと思いつつも開かずに放置していた。
数日後に祖母の訃報が届いた。
突然のことにてんやわんやの葬式を終え、あっという間に半年が経ったが、私は祖母からのメッセージを未だ開けないでいる。
私の未読は、会話を雑に終わらせないためにボールを持っておきたいという意思表示だ。このメッセージに既読をつけたら、祖母とつながった最後の糸が切れるような気持ちがする。
葬式の日の火葬場からの帰り道、車の窓から祖母の家が見えてきたとき、今すぐにでも玄関の扉が開いて、祖母が笑顔で出迎えてくれるような気がしてならなかった。あの温もりがまだ失われていないと思いたかった。
まだ当分既読はつけないだろう。
きみなんていないのさ
雨は足下を濡らすから嫌いだ
本当はみんなひとりだってわかっているでしょう
傘は自分で用意するの
私は常に合理的に、理性を使って生きてきた
自分を信じてる
寂しさに負ける訳がない