『怖がり』
「暗闇は怖い。」
だって、何かがいても気づけないし、先が見えないし……他には何があるのだろう。理由がすぐに底をつきてしまった。
「暗闇は怖い。」
それは本能だ。怖くない人なんて、生物なんて居ない。夜行性の動物は、夜行性足り得るための装備がある。暗闇をも見れる目だとか、幼少期からの慣れや、遺伝子そのものとか。
でも、人間はそんな道具を最初から持ち合わせていない。
生身では防御力は低く、攻撃力もない。闇を不自由なく見渡すことはできないし、そんなこと遺伝子に組み込まれていない。
だから、火やろうそく、灯籠、提灯、ランプ、電球、懐中電灯、あとはそう、暗視ゴーグルとか。そういった道具を使って闇を克服しようとしてきた。
その甲斐があって、人間は夜も活動ができるようになった。
でも、だからこそ、闇への耐性は昔より弱くなった。
人間は、決して暗闇が怖くなくなってなどいない。
「暗闇は怖い」は、遺伝子に組み込まれている、人間の、生きるための装備のままなのだ。
筆者 宵鐘飾
『星が溢れる』
「星が降るような空」という例えはあるけれど、「星が溢れるような空」という例えはない。
そもそも、「溢れる」ってなんだろう。
辞書を引いてみると、「器の容量を超えて外へ漏れ出す」と書かれていた。
つまり、夜空という広大なキャンバスですら、その光を収めきれなくなった状態を指すのだろうか。ただ「星がたくさんある」と言うよりも「光の粒が重なり合い、今にも地上にポツポツと零れ落ちてきそうなほど密度の高い状態」ということだろうか。
肉眼で見えないだけで、空には数千・数万個以上の星があるのだそう。
試しに写真を撮ってみた。私の撮影技術が低いからかもしれないけれど、Google Pixelでは数千個も、それどころか数百個もないくらいの星が写った。
田舎の真っ暗闇、尚且つ少し標高の高い所だから、場所の問題ではないのだろうし……難しいな。
私が、星が溢れるような空を写真に収める日は当分こなさそうである。
筆者 宵鐘飾
『安らかな目』
人々が、否、動物なども含めて、安らかな気持ちが目に映る際の状況は一貫しているように思う。
大切な人を見るとき、小さい命を見守るとき、素朴な野花を見つけたとき、柔らかな水彩画を見たとき、などなど。
これらの状況を想像したときの色は、もちろん人によって異なるとは思うが、彩度が高く、俗にいうビビットな色ではなく、つかんだら消えてしまいそうな、けれどどこか実体がある夢のような色だろう。
安らかな目は、そういう色を映した目のことを言うのではないだろうか。
筆者 宵鐘飾