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3/12/2023, 11:50:48 AM

知識というものはあることで損するものじゃない。と、父にも母にも何度も言われた事がある。確かにそうだと思う。私は人と話をするのが大好きだから、知識が無いよりもたくさんある方が、話もたくさん繋げられると考えている。そして何より、知識が豊富な人はとても魅力的に私の目に映る。私が中1の時に担任だった国語の先生は、聡明な人だった。その先生の国語の授業は、眠くなった事がない。話を聞いていて、つまらない。と、感じた事がない。生きていくためには絶対に必要というものでは無かったが、惹きつけられる話ができる、というのは、とても格好が良かった。
私は日頃から、疑問に思ったことは誰かに聞いたり、調べたりするようにする。自分で言うのも何だが、いいことだなと思っている(というか、気になると他に集中出来ない)。そうして私の中に知識が入ると、胸がいっぱいになる。そして、嬉しい、面白いの気持ちが全身に行き渡り、足の先まで詰まったように感じる(私は何を言っているんだ?)。そして、それは新しく知識を得るだけではなく、自分には無い価値観、考え方を知った時もそのようになる。頭からひっくり返されるような感覚。道徳に反するような事でも、その人にとっての自分の中の大黒柱を知れる時、言葉が出なくなる。口を開けたまま、思考を止めてしまう。感化される。
だから、私は人と話すのが好きなのだ。だから、本を読むのが好きなのだ。だから、テレビが好きなのだ。もっと知りたい。そしていつか、私と話をした時、その人が感化され、新たな世界に踏み込んで欲しい。さすれば、全てが変わってみれると思う。そのようになるためには、たくさんの知識を吸い込んで、自分なりに染み込ませれるよう、頑張りたい。
私の夢は、思慮深い大人になることだ。正直、なれる気がしない。だからと言って、何もしないわけじゃ無い。その理想に一歩近づいた時、景色は反転しているだろう。だから、今は溜め込みながら、出しながら、少しずつでも、世界を変えていきたい。
自分の知りたいに向かって、理想の自分に向かって、突き進んで、生きたい。

3/11/2023, 1:28:21 AM

今日は、東日本大震災から11年だ。
当時私は3歳ぐらいで、あまり記憶には残ってない。けれど、毎年この日にテレビをつけると東日本大震災の映像が流れている。学校の道徳でも、何度も、数えられないくらい。被災した人たちの話を聞くと、とても胸が痛くなる。だが、実際本人にしか気持ちはわからないから、何も知らない私が涙を流したとしても、本人にとったら腹が立つだけじゃないのかと思う。
今、私たちの地域の方では南海トラフ地震が恐れられている。なんでも、30年以内に起こる確率が80%ぐらいらしい。でも、私は何の対策もしていない。何度も地震に遭った時、どうすればいいか、その後を生きる為に何をしていればいいのか、全部知っているのに。でも、地震に対する対策をしていない人がいたから、地震による影響で無くなった人も少なく無いのではないのか、と思う。こんな私が言うのも何だが。
素直に言うと、私は地震の被害に遭わないのでは、と密かに思っているところがある。西日本豪雨でも、うちが浸水するはずが無いと思って、避難せず、自宅に取り残された人も多かったらしい。一度も経験していないものには、そう感じてしまうのでは無いのか?「私だけは絶対大丈夫」と何故か自分に信頼を寄せている人は私だけでは無いはずだ。
何年か前の夏、大量の雨が降ってきた。警報もたくさんなっていた。私は小学生ぐらいだったから、とても怖かった。空を眺めては、うちが被害に遭わないことを祈るばかり。家族に避難所に行こうよ、と何度か言った。しかし、どれも濁っていた。「う〜ん…」と。幸いにも被害には遭わなかったからよかったのだか、何か違うのでは?散々、避難勧告が出ていたのに、たくさんの被災者の声を聞いているのに。何で、その腰は上がらないのだろう?そんなに重いものなの?と、違和感をずっと覚えていた。でも、もしかしたら地震はもっと違うのかもしれない。すぐに高台へ逃げるのだろう。そうと信じたい。家族が居なくなると、私は生きていける気がしない。まだ、子供なのに。そうか、私が子供だから、重い腰は上がらなかったのかもしれない。そうだとしたら、少し悲しいし、少し納得する。
私はまだ被災したことがない。これから被災するかも知れないが、怖い。なんせ、経験した事がないのだから。でも、意識だけは自然災害に対して向けて行こうと思う。自分が大人になっている時、家族含める皆んなの気持ちが大きく変わっていることと、皆んなの無事を願う。