今日の心模様
私は自身の心模様を観測することができない。なぜなら、観測しようとすればするほど型に収めて言語化することが困難だからです。単純化すれば良いことなのですが、生得的な性格が邪魔をしてしまいます。何も考えずに生きていくほうが幾分か楽なのだろうと改めて身に染みました。
たとえ間違いだったとしても
厚顔無恥で空想的な主張かもしれないが、たとえ間違いだと言われるようなことであっても、それが私の初信であるならば、私はそれを貫徹したい。妥協も譲歩もしたくない。しかしながら、私には自分のために生きて、自分のために死ねるほどの強さはない。自身の美学を追い続けることのできる人間を、私は羨望する。
それでいい
書く習慣という名のアプリをインストールしたにも関わらず、新年度だから忙しいという理由で全然書かなかったのも、それでいい。
雪明かりの夜
冬の夜は雪が街灯や月の光を反射させるので、ほのかに明るい。自分の足元に目線を向けると、さまざまな足跡がある。大きな足跡や、幼子のものだと思われる可愛らしい小さな足跡、犬の足跡など、見ていて飽きない。
私だけではないと思うが、足跡の軌跡を見守ることは成長した今でも無意識的にやってしまう。軌跡が途絶えてしまったり、自分の行く方向とは全く別の方向に行ってしまう時は、まるで友人と別れる時のような喪失感が燻る。気を取り直して、再び新たな足跡の軌跡を狙い定め、見守る。それが私の冬の日課なのです。
わざと誰も通らない道に突き進み、雪を蹴飛ばして、遊ぶこともある。雪が靴の中に入ってしまうが、それもまた一興だとその時だけは思えた。きっと、私の足跡を見て嘲る人もいるだろう。なぜだか悪い気はしない。
そして一日の最後に、明日の雪かきのことを考えて、鬱積した思いに浸りながら眠りにつく。冬は、雪だけでなく、憂鬱な思いも積もるらしいです。
『祈りを捧げて』
というお題をもとにして文章を書かねばならないそうだが、全く筆が進まない。
これは祈ることがないということなのだろうか。いや、私はそんなに無欲ではない。むしろ強欲なほうであると思っている。それなら、祈ることがあまりにも多すぎて整理が追いつていないだけかもしれない。しかし、この仮説もなんだか納得がいかない。
あれこれと思案してみるものの、依然として納得のいく答えが導き出せない。胸の中でぐるぐると漂流し続け、行く当てもないこの筆舌に尽くし難い思いの正体を、誰か教えてください。