――ギィ。
ひどく甘美な香りに誘われて
寝ぼけ眼を擦りながら木製の苔むした扉を開いた。
“決して真夜中に魔女の森へ足を踏み入れてはならない”
“命知らずな者さえ恐れおののく魔境の地”
そんな古くから伝わる村の禁忌を破り、
森を散策していた僕は 濃霧に惑わされここまで来た。
暗赤色に鈍く光る月に照らされながら
鬱蒼と生い茂る草木を掻き分けて見つけた一軒の小屋。
建物を目視すると同時に 僕の意識を奪ったのは
泥臭い森に似つかわしくない、甘い甘い香り。
ギィ、と大きく木が軋む音をたてながら
おそるおそる 小虫が這う苔むした扉を開けた。
扉の向こう側 僕の視界いっぱいに広がるのは
無数の炎揺らめくキャンドル。
それぞれの魅惑的な香りを振りまき、
個性を殺し合いながら 混じり濃度を増すアロマは
眩暈がするほどに美しく 鼻腔を魅了する。
酔い潰れたように 埃っぽい床に倒れ込んだ僕は
微睡み そして深い眠りへ落ちていった。
――――ギィ。
2022/11/19【キャンドル】
何にも変えがたい、この美しき夜景。
眩(まばゆ)い光は くすんだ星空すらも照らし
限りなく深い闇に唯一無二の存在感を誇っている。
僕は幼い頃 この夜景に一目惚れした。
父さんや周りの大人たちは
そんな僕を「無神経で非常識だ」と叱った。
「あれは我々にとって、負の遺産なんだよ」
「どんどん環境も治安も悪くなっているらしいし」
どんなに僕を叱ったって、諭そうとしたって
長年抱いてきた憧れが そう簡単に消えることはない。
美しいことに変わりはないんだ。
それにどんな代償が払われていたとしても。
今夜も僕は宇宙(そら)を見上げて青い球体を探す。
……見つけた、やっぱり綺麗だな。
――地球。
2022/09/19【夜景】
「貴方からの愛情が、足りないの!!」
――そう激昂して、彼女は闇に消えた。
僕は安堵した。
湿った土が爪に詰まっていることも忘れて
解放感が稲妻のように走り抜ける。
生ぬるい夜風に揺れる木々。
月は僕に顔を向けず、
何も見ていないと言わんばかりに雲隠れしていた。
喪失感などあろうものか。
翌朝コーヒーを啜りながら会心の笑みを浮かべる。
[――続いてのニュースです。]
[山林にて、身元不明の女性と思われる――]
2022/09/10【喪失感】
心にはどうやら
体と別の《寿命》があるらしい。
《寿命》は人それぞれで
決して長持ちすることだけが幸せとは言えなくて
いつも温かな火が灯っているとは限らない。
いとも容易く消えてしまう火がある。
たくましく燃え続ける炎もある。
体の《寿命》とは違って
心の魂は何度でも生死を繰り返す。
誰かの心を殺し続けることは可能で
誰かの心に小さな火を分け与えることも可能で
くるりと裏を返せば
――火の用心。
2022/09/02【心の灯火】
――あれ、おかしいな。
ふとLINEを開くと、一番上に《俺》とのトークが。
誰か名前とアイコンを変えたのか?
でも、俺と全く同じプロフにするなんて気色が悪い。
さらに奇妙なことに、
名前の下にある最後のトークの表示もない。
吸い込まれるようにして《俺》の名前に指が伸びる――
[《俺》が写真を送信しました]
[《俺》が写真を送信しました]
[《俺》が写真を送信しました]
ピコピコと鳴り止まない無機質な通知音。
指が震える。
指先と電子画面、興味と恐怖の、あと数ミリの葛藤。
――ピコン。
[《俺》が写真を送信しました]
2022/09/01【開けないLINE】