【一筋の光】
朝は必ずやって来る。カーテンの隙間から漏れる一筋の光。朝は嫌いだという人はいるだろう。その理由はそれぞれで学校や仕事があるからとか眩しいのは嫌いだとか。
でも私は朝が好きだ。その光を浴びることで気持ちがポジティブになるからだ。少なくともネガティブにはなりたくはない。
人は気持ちが大切だ。気持ち次第で人は変われる。成長できる。気持ちは人にとって素敵な原動力なのだ。
それを踏まえると言葉も大切なのがわかる。言葉をかけられることで気持ちを強くもてたり、今後の行動が良いものになったりすることはあると思う。
人は気持ちを共有したい生き物なのだ。自分の気持ちをわかってほしいものなのだ。だから私たちは言葉というものを使う。言葉は人にとって生きていくための一筋の光。
また明日、また明日と言葉を紡いで今日も生きていく。
「哀愁を誘う」
私は秋が終わるこの時期にもの悲しくなることがある。これから寒くなっていき、植物が枯れていってしまうのもあるのだろう。
もちろん、それだけの理由でもの悲しくなったり、秋が終わる時期だけが哀愁を誘う訳ではない。人それぞれ感じ方は違うし、例えば読んでいる本だったり、聞いている音楽だったりがもの悲しくなるものであることもあるだろう。
それに感性は経験に影響されるだろう。今まで積み重ねてきたものがその人から紡がれる言葉であったり感じ方であったりに響いていく。
だから人それぞれ感じ方は違うし、選択肢も違う。
自分が楽しい、面白いと感じているものが他の人にとっては悲しいという風に感じているかもしれない。
だから人は間違いもするし誤った選択肢を選ぶこともある。それをどう正すかは自分次第なのだ。
もちろん正す過程でまた間違えた選択肢を選ぶのかもしれない。それが人生だ。それが人間であり、生き物なのだ。
哀愁を誘う。それは人の感じ方次第。同じような事柄でも人はそれぞれ感じ方は異なるのだから。
【鏡の中の自分】
「やぁ、初めまして。もう1人のボク。」
と鏡の中のボクは言う。
それに応えるように「初めまして」と鏡の前の僕は口を開く。
そして挨拶を済ませ終わると鏡の中のボクが質問し提案する。
「君は生命体がなぜ眠るのか知ってるかい?」
僕は首を横に振る。
「それはいつの日か、夢から覚めるためなんだ」
「??」
僕は首を傾げる。
「一度、鏡の中のボクになってみないか?」
鏡の中の自分。どういうものなのだろうと気になって仕方ない。
僕は鏡の中のボクになってみることにした。
「じゃあ、鏡の前で目を閉じてみて。それだけで君は鏡の中のボクになれる。」
僕は従うように目を閉じる。
すると、同じ鏡の前に立っていた。
何も変わってない気がするのは気のせいだろう。
鏡の中での生活は自分が思い描いた理想のものだった。
お金にも困らず、人間性も良いものだ。
数えるとキリがない。
こんな理想的で幸福感に満ちた生活をしていてかなりの時間が経過した後、ふと思い出した。
これはただの現実逃避だと。
思えば鏡の中の自分などいるわけがない。光の屈折で反射して見えてるだけなのだ。
そう。淡い理想的な想像に溺れて現実から目を逸らしてはいけない。
僕は気がつくと鏡の前に立っていた。あるのは鏡と僕だけだった。
でも鏡の中のボクの言葉はなんだったんだろう。
鏡の中は夢の世界だと思う。
鏡の中ではすべてが許され、すべてが可能になる。
私は色々な目的でそこに来て思わぬ方法でそれを実現した。
その結末が甘美であれ幻であれ苦い現実的なものであれ、
それは私が望んだ答え。
人はなぜ眠ることを選ぶのか。
それは鏡の中のボクが言う通り、
いつの日か、夢から覚めるためだと思う。