永遠の花束が欲しい人へ
欲しいのは永遠の花の束?
それとも中身が変わってもそこにある永遠の束?
どちらが欲しいかで、なにか自分が決まってしまうと思ってるんだろう。
そこに運命という時間のスパイスがあると考えないなんて!
花はいつも、咲く時や場合を選べないことを僕たちに教えてくれているのにね。
「やさしくしないで」なんてやさしくない言葉を吐ける人間になってしまったら、きっとおしまいね。
バイバイ。
さよなら。別れの言葉。
元は英語で「Bye-Bye」。
赤ちゃんが話す最初期の言葉。
いや、数カ国で用いられることから、「赤ちゃんによって話される起源的な言葉。」と考えるのが正しいのかもしれない。
つまり、「by赤ちゃん」の言葉という訳だ。
いったい「e」はどこへ行ってしまったのか。
大人は「e」に何を込めたのか。
「e」すなわち、ギリシャ文字で「イプシロン」。「5」である。
ここまでくれば、大人のあの嫌な特有の感じが感じ取れる。
そう、バイバイが「Bye-Bye」となったとき、大人によって原初の言葉は「By age」、「5歳まで-5歳まで」とされてしまったのだ。
では、その意図はなにか。
大人たちはさよならの悲しさと虚しさに耐えかねて、文明の力で言葉を隠蔽したのだ。
バイバイという言葉にどこかまた会うことを約束しているような感じが含まれているのも大人たちの作為なのだ。
さよならだけが人生なことは、きっと赤子が知っている。
帰るまでが旅なら、目的はどこへいってしまったのか。
旅の途中が全て目的になってしまったら、なんだか全てが大切なものに思えてきて、スーツケースにつける印だとか道中で買ったもののレシートだとか必要でないものまで捨てることができなくなる。
「旅などやめておけばよかった。」と言いたくなる。
だが、私はいま、汽車乗っている。
駅に着くと、頭を下げてみよう。
「どうか、どうか。この汽車を僕に譲ってはくれませんか。乗っていなければならないんです。もう始めてしまったんです。軽はずみだった。僕は旅の終わらせかたを知らない。怖くてしょうがないんだ。」
そんなことを言う勇気があれば、旅など行っていないなんて野暮なことは言わないでくれ。
次の駅に降りたら、別の路線で1番遠くまでの切符を買おう。
だって、切符は持ち帰らずに済むのだから。
日陰で猫がウトウトしていたので
きっと、もう春。