小さい頃から逆立ちというものができない。逆上がりもできない。赤ちゃんの時から逆さまな状態になったことがあまりないのでそういうものに恐れているのかもしれない。
逆さまな状態とはどのような状態なのだろう。逆立ち逆上がりくらいしか逆さまにはならない気がする。まず、なぜ逆さまになることが怖いのか。平衡感覚とか、そういうものが関係するのだろうか。まあ、理科の先生でも何でもないので全く見当もつかないが。後でYahoo!で調べます。逆立ちできないのは単純に運動神経も関係すると思う。まあ、運動神経はある方だろうから僕が逆立ちできない原因は前者にあると思う。
ええと、私事ではありますが、高校入試の推薦が通りました。期待に応えられるよう逆立ちするような気持ちで頑張ります(?)。
ご存知の通り、僕は最近眠れていない。別に恋心でドキドキ眠れないとかじゃなくて、受験の緊張でもなくて、なんでだろう。一度、検査でもしてみるか。
22時就寝、6時起床。8時間睡眠はとれている。ただ、起きたあと、ダルい。というか、起きられない。6時起床とは書いたけれど、それは目を覚ます時刻。実際に起き上がるのは7時くらい。なんだろう、睡眠の質が低いのかなあ。見た目では眠れている。でもそれは時間の話。本当は眠れていない。眠れないほどの何かがあるのだろうか。最近寒くなったせいか。それもあるかもしれない。とはいえ北海道のような極寒地域でもないので毛布を1枚程度敷いてみたらいいかも。
とまあ、こういう風に、眠れないのなら、眠れないほどの何かが存在している筈。試行錯誤して、睡眠改善、頑張らなければ。
夢と現実。このギャップに悩まされることは多々ある。あぁいや、萌え〜とかじゃなくて。夢ではああだったのに現実はこんなものなのか。残念、みたいな。
今のところ、僕はそのようなギャップに悩まされたことはない。人生経験が浅いからだろうか。多分、これから進学、成人、就職と、歳を重ねるごとにギャップは増える。例えば、父さんは定年退職すれば好きなことに時間を費やすと豪語しているが、それだってどうだか。自転車を買って、それで日本一周して、、、というのを夢見ているのかもしれないが、現実では、老後は費用もかかる。果たして、仕事を辞めて、年金と貯蓄だけで良い生活を送ることはできるだろうか。まして、何十万もするような自転車など……。
夢をみるのは良い。それがモチベーションになるし、そこから、新たな発見があるかもしれない。ただ、やはり現実から目を背けてはいけない。今を見て、身の丈に合った夢を見る。それが一番良いことだと思う。
さよならって……言っちゃだめですか?なぜですか。「さよなら」というのは、日常で交わされるほんの一コマの、ほんの一台詞。「おはよう」「どうも」と同種であるように思う。
さよならは言わないで。それとも、それが一生の別れになるとでも思っているのか。こうある以上、この「さよなら」が意味するものは日常で交わされる「さよなら」とは全く変わってくる。さよなら、また明日。じゃなくて、さよなら、次の集合場所は○○な。というのでもなくて、今生の別れみたいな、そういうものが含まれているのではなかろうか。……ただまあ、さよならが無いと、別れ際に何を言うのか、迷うところではある。
さよならが無いと、別れられない。別れられないと、新しい出会いにも恵まれない。やはり、辛くても、さよならを言わなければいけない場面は必ず来るのだ。
光と闇の狭間で……こんな言葉、日常生活では使ったことがない。まあ、常識的に考えて、こんな言葉を使う人はどこかの中二病腐りくらいだろうけど。
光と闇というのは比喩であるように思う。よく、産業革命の光と闇、とか、高度経済成長の光と闇とか教科書にでてきたりしているけれど、そういうものだろうか。要するに、キラキラ綺羅びやかな世界と陰湿でジメジメとした世界、この二つの対比を表しているのでは。だから、日常生活で使うことはあまりない。小説とか漫画とか、そういう文章の中でだけ用いられる限定的な表現だと、僕は思う。その狭間?どういうことだろう。光と闇の対比に振り回されて、悩まされるということか。
たとえ闇が強くても、光が消えて、そのギャップに苦しまされたとしても、その狭間で頑張って、勝機を見出そうとしている人はいる。負けないで、この社会、この世界に。