誰かのためになるならば、僕は全てを投げ出せる。そんな人がいるのだろうか。人間、、、というか生物は自分しか見えない。だから、他人の為に何かをするというのは、自分の後になってしまう。
「なってしまう」などと書いたが、別にそれが悪いこととは思わない。自分のことを先に。他人は後回し。そりゃそうだ。自分の仕事をできない者に他人を助ける資格がないとまで思う。だから、逆にやるべきことをして誰かのために、何かをしている人は、本当に凄いと思う。僕は自分のことで精一杯、誰かのためになんて、考えられない。
誰かのために、と考えられる人は余裕のある人。僕もいつか、余裕のある大人になりたい。
鳥かご……何を書けと?ええと、鳥かごって、静香ちゃんの家にもあるよね。金糸雀だっけ、、、だから?
僕はペットも何も飼っていない。猫とか、飼ってみたい気もある。鳥はあんな狭い牢屋みたいな所で暑苦しくないのだろうか。でも、動物園もそんなものか。鳥の気持ちになると、少し可哀想な気もする。人間が牢屋に入れられて、見世物にされる。なんか、嫌だなぁ。確かに、そう考えると動物園はクソだ。みたいになるけど、そんなことじゃあなく、動物園には、動物を保護するという役割もある。
視点を変えるだけで、一つの事例はいくつもの表情がある。牢屋のような鳥かごも大豪邸になるのだ。
友情。そんな話を求められても困る。別に友情について書けないという程、友達がいない訳ではない(これでも昔は結構いた)。ただ、なんとなく、曖昧な感じで別れた友達のことを思い出して辛くなるだけだ。
今だって、話す相手くらいはいる。馴れ馴れしくなく、それでいて無視はしない、素敵な間柄だ。僕は1人でいることが好きだと知っていて、放っておいてくれる。でも、時折、みんなで秘密基地を作って遊んだあの頃も良かったと思う。――それらの「友達」とは、別れの挨拶もなかった。突然、姿を消した。疲れた、お腹がいっぱい、見たいテレビがある。何かと理由をつけて遊ばなくなった。
今の友人関係は素晴らしい。丁度いい。そうやって「今」をベタ褒めするのは嫌な過去を塗りつぶしたいだけではないか。別に友情なんて不要だという考えを持つのも、、、(なんか、暗い感じで終わってすみません)
花が咲く瞬間。見たことがあるだろうか。大抵の花は徐々に咲く。僕はそんな瞬間を見たことがない。そう、この「花」が桜や紫陽花のような花を意味するならば。
「花が咲く」この表現は、タンポポ、薔薇(それだけじゃないだろうけど)が花開く時に使われる。ただ、他にも用例はある。「才能が花開く」。なるほど、才能を花に見立てるか。この花が咲く瞬間は見たことがある。漫画で、主人公がピンチに陥った時。でも、現実は、突然、才能が咲くなどということはないだろう。別にプロのゲーマーだって、けん玉世界王者だって、初めからできたわけじゃあない。
徐々に咲く。そして、咲いた時、感動する(自分で育てたなら特に)。花と才能。重なる部分は多い。なら、自分の未来の種を大事に育てていこうよ。絶対、いつか花が咲いてくれるから。
もしもタイムマシンがあったらどの時代に行きたい?家族にもよく聞かれるのだが、正直、あまり決められない。恐竜のいた時代に行ってみたい気もする。僕が生まれた時に立ち会ってみたいとも思う。
ただ、タイムマシンなんて、できるわけないよね……と書くと、夢がない。実は、僕は幼稚園の時からドラえもんを見ている。そういう話に対しては懐疑的な筈なのだが、、、もしかしたら、疑っているからこそ、この物語に憧れを感じるのかもしれない。
僕の人生は後悔ばかり。あの時に戻りたいと、何度も思った。でも、今から頑張れば、将来、タイムマシンいらないよなあ。後悔しない人生……。考えてみよう。