「抱いてあげてちょうだい」
師匠の奥さまを産院に見舞う
憧れのマドンナがカンガルーに見えて
俺は初恋の夢の陶酔からさめた
運命は師匠との養子縁組を水に流した
腕の中でカンガルーの子ども
もとい 令息の体温がわだかまりを溶かす
血縁や書類の届け出よりも
濃い系譜の力強さで
この子の胸の鼓動を守らせてください
「胸の鼓動」
踊るように教室から廊下へ
主将に呼ばれた 副主将の長い髪が遠のく
なんなの あいつら 熟年夫婦の空気だよ
「あの頃、主将のことしか見えてなかったけど
一番付き合いの長い友達は、高等部からのお前だ」
はいはい ありがとう 妬いてないよ
強がりじゃなく 主将と副主将は 本当に救いだった
親父とお袋が 完全に終わる 葬送狂騒曲の合間に
あいつらの 男子校の小さな恋のメロディーが
聴こえていたからオレは生きのびられたんだ
十年後の今日までオレは生きのびられたんだ
「踊るように」
死後の世界の王子様は
扉の番人をするのが仕事です
善人でも悪人でも みんな
天国か地獄か どちらかの道に進ませます
謳歌したにしろ 苦しんだにしろ
終わりの時を告げる仕事をしています
助手の赤い狐に気持ちを問われ 王子いわく
どちらの道だろうと
その人に最も足りなかった人生を得てほしい
進み続けてほしい そう思っている
赤い狐はその答えに耳をふるわせると
かつての銀色の狐に姿を戻し
銀色の涙をこぼしました
「時を告げる」
イタリア暮らしの収穫は?
スポーツ紙の記者に聞かれて
ムール貝を食べるのが上手くなりました
と答えた
ご自分で料理もされるんですか?
モテたいですから。
そっけなく答えて、空港からあいつの部屋へ急ぐ
ムール貝の貝殻が積み重なるたびに
あいつに会いたい気持ちも積み重なっていたんだ
「貝殻」
叶わなかった初恋は、線香花火のきらめきだ
上京先の屋敷に、あの人は職人を迎え
寿司と鯛の姿焼きで祝ってくれた
緊張して小鉢の卯の花に最初に手をつけた
こんなにおいしいものを、初めていただきました
あら、それだけはうちの常備菜なのよ
でも有難う。口にあって嬉しいわ
……あれから幾星霜
あの人の忘れ形見に押しきられ
オレたちは縁側でスターマインを見上げる
黄色いスイカとブルーハワイのカキ氷
二人きりになった屋敷で、最後の恋が始まった
「きらめき」