「好きです」
広大なびんせんの真ん中に、ぽつりと弱々しい字が4つ。
少年がこの時間でひねり出せるのはこれが限界だった。
普段触ったこともないような材質の紙を湿らせないように角をちょびっとだけ指で挟み、あの子のもとへ走った。
「がんばれー!」
応援というよりは興味に近い感情の声が、ランドセルの金具からなるカチャカチャという音とともに後ろから聞こえる。
でも今の少年にそんな事はどうでも良かった。
4年という少年には長すぎる時間溜め込んだ思いがその手に在る。
言葉にする事など絶対にできない内気な少年が、この形であれば、と今日伝える事を決めたのだ。
夕方5時の鐘の音が聴こえてきた。
あの子が公園の入り口に停めた自転車に足をかけているのが見える。
「まって!」
息切れの勢いに任せてあの子に声を投げる。
あの子と目が合う。
今まで感じたこともないような緊張感が体をこわばらせる。
次の言葉がでない。あの子からの視線が少年ただ一人に注がれている。
鐘の音の余韻が夕焼けの空に響く。
どんどん膨れ上がる逃げたい心を押さえつけるように
小さな紙を掴む手を目の前に差し出した。
「えっ…」
「これ…よんで…っ」
少年にはこれが限界だった。
あの子の手に少年の4年間が握られたことを確認するやいなや少年は来た方向へ走り出す。
真っ赤な強い光が少年の目を指す。
あの子の頬は何色だったのだろう。
怒りが頭を貫く勢いで腹から湧いてきた。
5分前行動などと学生の時はよく言われた。
私は時間にルーズでよく遅刻を繰り返し、
さまざまな人々の反応を見てきた。
しわくちゃの顔で怒鳴られたり、
飽きれた顔で笑われたり、
予定が無かったことになる事もあった。
そのため、人の時間のルーズさにもそこまで気にするような事はなかった。むしろ自分と同じような時間感覚の持ち主に共感し、喜びさえした。
大人と呼ばれるような年頃になれば、そんな時間感覚でいれないような機会も増えてきた。
人に怒られるような怠惰な遅刻などは徐々に減っていった。特に仕事に関する遅刻はまだしたことが無い。
そんなある日、あいつは遅れてやってきた。
私が机に広げた資料あたりに目線をやりながら、馬鹿でかい体を椅子にガチャガチャと音をたてながら収める。
「おつかれー」
仕事上でしかこいつには関わりがないが、今日は会議での作戦を練るべく集まる運びになった。
私は先に述べたように時間に関してあまり気にするタイプではない。もちろん今回の事は大して気に留めないつもりだった。
だが、私の感情は今あいつへの怒りがその大半を占めていた。
以前、同期数人で集まった飲み会での会話がよぎる。
「遅刻はしたくはないけど、しちゃうような時はあるんだよなぁ…」
と肩を落とす同期に言葉を投げかけると、あいつは
「社会人にもなってありえない。遅刻なんて普通にしないだろ。」
とピシャリと線を引いた。
時間に厳しい人間の言葉は正論であるが故、自分の感覚とは明らかにかけ離れていることを感じつつも言い返すことはなかった。
そんなあいつが時間に遅れてきたのだ。その事実もさることながらにその態度。まるで時間に遅れてきたのは無かったことのように振る舞っている。
やはり私はこいつが嫌いだ。