柔らかい雨
君が傘をさして私の方へ振り向いた。
ほら入って
一緒の傘に入って歩くなど、いいのだろうか。
そう言う関係に見えるじゃないか。
いや、私はいいけれども。私は。
君も何を思ってそうしているのか。
私は一瞬の躊躇いの後、君の近くにいられるという欲に負けて、その傘の元へと急いだ。
歩く。
言葉はない。
雨の音が強い。
けれど、君がいると言うだけで。
私はそれだけで。
鏡の中の自分
鏡の前に立ってニコッと微笑む。
今日も私は可愛い
可愛い私は好きだ。
鏡の前で1度立ち止まって下を向く
今日は調子が悪い。
外には出ないでおこうか。
鏡の前で今日の自分を観察する。
今日の私は可愛い。
よかった。
まだ私は大丈夫。
街中を歩く。
みんな可愛い。みんなかっこいい。
見た目が全てとは言えないけれど、
見た目が良くなければ全て否定される。
街中を歩く。
醜い人は存在しない。
そう。そんな人はいない。
だって視界に入らないから。
少し立ち止まって観察する。
醜い人は存在しない。
だって外に出ないから。
人の目に映らないように自分から姿を消すの。
不安になり鏡を見る。
私は存在する権利があるだろうか。
永遠に
君は目覚めない。
それを私は知っている。
君は棺の中に静かに横たわっている。
やっとだ。
私は片膝をつき、より近くから君を見つめる。
そう。
私は永遠など信じないのだ。
君は嘘をついた。
違う。
私が本当にしてしまえばいい。
でも私はあのままでいたかった。
君の頬に手をすべらせ、ぎこちなくほほえむ。
ずっと、
永遠に、
一緒だと。
理想郷 ユートピア
死んだら天国に行ける?
否。天国など存在しないよ。
君は私の言葉など耳に入っていないように、窓の外を見つめ続けている。
みんなが幸せな世界だといいね。
そんなものは空想上にしかないよ。
君は否定ばかりする私に少しへそを曲げたのか、少し怒った顔でこちらに向いた。
嫌なことなんて全部無くなっちゃえばいいんだ。
ある程度のストレスは必要な刺激だ。
刺激がない世界はひどく退屈だからね。
君はそういうことが言いたいんじゃないとでもいいたげに、不貞腐れたようにまた外に目を向けた。
私はため息をこぼし言葉を紡ぐ。
全部無くなればいい。
全て、全てだ。
思考も感情もなければ苦しまなくていい。
君は呆れたようにこちらに振り向いて、一瞬なにか言おうと口ごもった後、また外を見つめた。
懐かしく思うこと
将棋を指す音
将棋盤の前に胡座で座り片膝を立てる。
たまに聞こえる駒を置く音。
駒の行く末を考えているんだろう。
片膝に体重をかける傾いた体制なのに、微動だにしない。
そんな兄の背中に、私はいつも緊張感と同時に心地良さを覚えていた。
そうだったはず。
心の感覚など覚えてないが、そうだったと記憶している。
過去は変わらない。
振り返っても私に何かを与えてくれることはない。
記憶として存在する過去は、総じて心を締め付ける。
幸福な思い出はいつしか記号になり執着になる。
苦しい思い出はいつまでも心に棲みつく。
過去なんて思い出さない方がいいのだ。