理想郷 ユートピア
死んだら天国に行ける?
否。天国など存在しないよ。
君は私の言葉など耳に入っていないように、窓の外を見つめ続けている。
みんなが幸せな世界だといいね。
そんなものは空想上にしかないよ。
君は否定ばかりする私に少しへそを曲げたのか、少し怒った顔でこちらに向いた。
嫌なことなんて全部無くなっちゃえばいいんだ。
ある程度のストレスは必要な刺激だ。
刺激がない世界はひどく退屈だからね。
君はそういうことが言いたいんじゃないとでもいいたげに、不貞腐れたようにまた外に目を向けた。
私はため息をこぼし言葉を紡ぐ。
全部無くなればいい。
全て、全てだ。
思考も感情もなければ苦しまなくていい。
君は呆れたようにこちらに振り向いて、一瞬なにか言おうと口ごもった後、また外を見つめた。
懐かしく思うこと
将棋を指す音
将棋盤の前に胡座で座り片膝を立てる。
たまに聞こえる駒を置く音。
駒の行く末を考えているんだろう。
片膝に体重をかける傾いた体制なのに、微動だにしない。
そんな兄の背中に、私はいつも緊張感と同時に心地良さを覚えていた。
そうだったはず。
心の感覚など覚えてないが、そうだったと記憶している。
過去は変わらない。
振り返っても私に何かを与えてくれることはない。
記憶として存在する過去は、総じて心を締め付ける。
幸福な思い出はいつしか記号になり執着になる。
苦しい思い出はいつまでも心に棲みつく。
過去なんて思い出さない方がいいのだ。
もうひとつの物語
ここに一つのプリンがある。
私はこれを食べてもいいし、食べなくてもいい。
目の前には机の上にプリンが乗った皿が一つと、スプーンが置いてある。
まるで食べてくださいとばかりの配置だ。
目の前に座っている君が、私が食べるのを期待している目で見てくる。
上手にできたよ
私はスプーンを手に取り、プリンをすくい、口に入れた。
咀嚼し、甘さを味わって、飲み込む。
食べない選択肢などないのだ。
君は嬉しそうにこちらを見て笑った。
美味しいでしょ
私は食べながら頷く。
食べない選択肢を選ぶことで開ける物語があるとして、私はそれを選ばない。
この選択肢が絶対いいに決まっているのだから。
もう一つの物語は、始まることはない。