にえ

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8/4/2025, 1:45:02 PM

お題『ただいま、夏』


 振り返ればハウレスだった。買い物帰りらしく、バゲットが頭を覗かせている大きな袋を抱えている。
「お帰りでしたか」
「ついさっき。何か用事?」
 ハウレスがいつになく生き生きとして見えたから、何かあるのかな、という小さな勘だった。
「街にアイスクリームの店ができていまして。よろしければ一緒に行き」
 皆まで言うよりも早くベリアンがやってきた。
「主様、帰っていらしたのですね」
「うん。ただいまベリアン」
「ごゆっくりお過ごしください」
 恭しく礼をすると、ベリアンはハウレスに向き直った。
「依頼です。ハウレスくんご指名の」
 依頼と聞いてハウレスの顔が引き締まった。
 しかし私のお口はアイスクリームになっていた。チョコ味のアイスをこよなく愛する私の舌は甘くて冷たい食感を求めている。
 拗ねているのが顔色に出てしまっていたのかもしれない。ハウレスが困惑しているとフェネスが通りかかった。
「フェネス。主様をアイスクリーム屋にお連れしてくれ」
 そう言ったハウレスの顔は残念そうに見えた。

 フェネスのエスコートで馬車から降りると結構な列の最後尾に付く。日傘を差してくるフェネスを見上げた。
「あなたはナッツのたくさん入ったアイスが好きなのよね」
 すると慌てて首を振る。
「主様と一緒に飲食できませんから」
「私がいいって言ってるの」
 反論させない私にフェネスが折れた。
 順番が来て私たちはそれぞれお気に入りの味のアイスを手に入れた。が、走ってきた子どもとぶつかって、私のアイスは地面に食べられた。
 ギラついた日差し。そこそこな列。戦意喪失の私。
 呼ばれて見上げれば、橙色の困り眉。
「このアイス、ベースはチョコなので……でも俺の食べかけじゃ、あっ、主様⁉︎」
 フェネスの手の中から、ひと口いただく。
「美味しい」
 私が笑えば、フェネスもふわりと微笑んだ。

7/29/2025, 10:22:27 AM

お題『虹のはじまりを探して』

※久しぶりにあくねこ2次創作です。



 書庫で整理をしていると、主様が現れた。

 5歳の主様。

 屋敷は久しぶりの主様が幼い子どもということもあってかみんなメロメロだ。お菓子を差し上げようとする執事が後を絶たなかった。このままでは主様の健康に関わるということでハウレスは心を鬼にして【鬼ごっこ】の鬼となり、日々主様に楽しんで運動をしていただけるように努めている。
 ここでもハウレスが鞭役となっているので、俺は飴役。運動をして疲れた主様に気持ちよく休んでいただいている。
 最初は寝室で寝かしつけをしていたけれど、目が覚めたときにひとりぼっちは嫌だと泣きだしたことがある。そこで俺は主様につきっきりになれるよう書庫で休んではいかがですか、と提案した。
 主様に「目が覚めたら絵本を読んでいてもいいですよ」と言ったところ大きく頷いていた。

 今日も鬼ごっこをたっぷり楽しんだらしい主様をお風呂に入れて、書庫のソファで寛いでもらう。トントンと胸を叩きながらゆったりとしたリズムで子守歌を歌っているうちに夢の中に入っていった。
 その主様が、絵本を抱えて俺を見上げている。瞳は爛々と輝いていて、何か楽しい思いつきがあることを物語っている。
「ねぇフェネス」
「主様、いかがなさいましたか?」
 すると主様は、
「にじのはじまりをみたい」
と言い出した。大事そうに抱えている絵本は虹の始まりを見つけに行く冒険譚。
「うーん、今日は晴れていて虹は出ていないと思うのですが……」
 そこまで言って、いいことを思いつく。
「ハウレスに相談してみましょう。俺ひとりの力ではどうにもならないので」

「わあ……つめたくてきもちいいー!」
屋根からホースで水を撒かれて主様は大喜びだ。
「あ! 主様、虹が出てます!」
「きれいだねー……あれ?」
 主様がきょとんとしている。それもそうだろう、輪っかの虹が出てきたのだから。

5/20/2025, 11:33:39 AM

お題『空に溶ける』
タイトル『いってらっしゃい!』

***
まとめは
【カクヨム】か【note】
『わんわんとさっちゃん』
***

 皐月の両目から温かな雨が降り注いでから22年の歳月が過ぎた。

 あの日——皐月が6歳の冬、コハナちゃんは癌で亡くなった。白石さんと川崎さんの要望もあって、最期の瞬間が訪れるまでコハナちゃんは皐月の腕の中で過ごした。
 幼稚園で覚えてきた童謡をコハナちゃんに歌って聴かせてた声が、ふいに途切れた。
「コハナちゃん、ばいばい」
 みんなが駆け寄ったときには息を引き取った後だった。
 双眸から涙をはらはら流す皐月は親の私から見ても思いのほか冷静で。
 その理由らしきものを、コハナちゃんも祀られている共同墓地で、皐月がぽつりと漏らした。
「コハナちゃん、ここでいっかいおわかれするけど、またいつかあえるからっていってた。だから、かなしまなくていいよ、って」

 そして今日、皐月は大きな岐路に立っている。
「お父さん、お母さん、行ってきます」
 駅のホームにて皐月ははにかんでいる。
「はい、いってらっしゃい」
 私が皐月に言えば浩介さんは「いつでも帰ってこい」なぁんて、鬱陶しく泣いた。
「皐月、ワンコたちに舐められないようにな」
 浩介さんは尚も心配そうに声をかければ「大丈夫」と皐月は笑う。
「犬は私にとってパートナーだから」
 じゃあね! と手を振って皐月は新幹線の中に消えていった。

 帰宅して、2頭の引退犬の頭を撫でながらお義母さんは笑った。
「それにしてもさっちゃんが盲導犬訓練士になるなんてね」
「まだ実習生ですよ、お義母さん」
「えぇ、分かってますよ。だけど天職を見つけてきたわよね」
 コナツが亡くなってお義母さんがペットロスにかかったときに支えてくれたのは、今いる2頭の引退犬だ。皐月があの日言った、引退犬ボランティアになれたからこそのことだと思う。
 引退犬ボランティアになりたいと言ったことは覚えていなかったけれど、コハナちゃんのことは大人になってからも何となく覚えているらしく、今でも不思議な体験をすることがあると言う。

「時々、悲しい気持ちになることがあっても、その度に心の中に『よしよし、いい子いい子。安心していいよ、私がそばにいるからね』って声が聞こえてくるの。その声の主を探そうとしても、周りには誰もいなくて。その気配に、ありがとうコハナちゃん、って伝えるとね、穏やかにそれは空に溶けてしまうの」
 コハナちゃんは私にとって神様だね、と言って笑っていたけど、皐月、あなたにとって本当にコハナちゃんは神様だったのよ。

 コハナちゃん、不束な娘ですが、これからもよろしくお願いします。


——完——

5/9/2025, 11:41:33 AM

お題『夢を描け』
タイトル『再会』

***
まとめは
【カクヨム】か【note】
『わんわんとさっちゃん』
***

 車の中で皐月に念押しをした。
「あなたがコハナちゃんに会えるわけじゃないのよ」
 コクコクと頷く上気した頬。握りしめすぎて蒼白になった両手。
「コハナちゃんの【はどう】をかんじたいだけ」
 皐月にとってのコハナちゃんは、片想いの相手になったり信仰の対象になったりと忙しい。

 白石さんと私たち親娘を乗せたワゴン車は、郊外にある立派なお屋敷の前で停まった。
「おしろみたいだねぇ、おかあさん」
 皐月の目がまんまるに輝く。
「コハナちゃんがすむのにふさわしい……」
 それでこそ我がコハナちゃんと言わんばかりに満足げな様子の皐月だったけれど、車を降りようとしている白石さんに気がついて、慌てて呼び止める。
「しらいしさん、これ、おねがいします」
 白石さんに渡したのはピーマンごはんのお手紙と、あの日買ったハンカチ。ハンカチに至っては洗ってアイロンをかけたはずなのに皐月が握りしめてシワシワになっているし、皐月の手汗でびちょびちょになっている。
「……うん、分かったよ。ちゃんと届けるからね」
 降りて行った白石さんの背中を見送る視線から感じるに、一目でもいいから会いたかったのだろうな。
 皐月を連れてきたのは間違いだったのかもしれないと、最初は思った。だけどうちの娘は、なかなかどうして、凛としている。生まれてまだ4年しか経っていないのに堂々としていて、頼もしさすら感じられる。

「……! コハナちゃんだ!!」
 皐月が声を上げて、しばらくすると車の外が騒がしくなった。
「コハナちゃん! コハナちゃん!! あいたかったよ!!」
 きっとコハナちゃんも会いたかったのだろう。皐月の顔をペロペロと舐めている。
「すみません、目を離した隙に飛び出してしまって」
 コハナちゃんの今の飼い主さんだろう、中肉より少しだけふっくらした男性が申し訳なさそうに顔を見せた。

 帰りの車の中で皐月は、
「わたし、おおきくなったら、いんたいけんをかいたい」
と言い出した。
「どうしたの? 急に」
「きょうあった、かわさきさんみたいに、たくさんのいぬを、しあわせにしてあげたい」
 皐月の目にはコハナちゃんたちがとても幸せそうに映ったのだろう。
「よくぞ言ってくれた、我が娘よ!」
 皐月も私も、そして白石さんも。川崎さんのご自宅まで連れて行ってくださったボランティアの方も。
 幸せに満たされた空気に、みんなほっこりしたのでありました。

5/8/2025, 1:00:43 PM

お題『届かない……』
タイトル『風向きの変化』

***
まとめは
【カクヨム】か【note】
『わんわんとさっちゃん』
***

 最近、皐月の元気がいい。いや……『良すぎる』と言うべきだろうか。ちょっと心配かな、母としては。
「ねぇねぇ、さっちゃん」
 私はお昼ごはんを終えた皐月に、ある提案をしてみる。
「コハナちゃんにお手紙書こうか?」
「おてがみ?」
「うん、そう。コハナちゃんに最近あった出来事を、手紙で伝えてみよう」
 皐月はいい笑顔で「うん」と大きく頷いた。
 私としては、皐月の心の中でどのくらい悲しみの作業が進んでいるのかを確かめたい、という思いもあった。

 文具店で、さつきとふたりで「このピンク色、コハナちゃんに似合うのでは?」「コハナちゃんにはこっちのあかいろだよ」と、ひそひそ声で会話をしながらレターセットを選んだ。
 久しく会っていない友人……いや、恋人かな? とにかく、心の距離は近いのに物理的な距離が遠くて会うことが叶わない相手に向けてプレゼントを選んでいる。まさに皐月はそんな感じではにかんでいた。
 そうして選んだとっておきのレターセットをテーブルに広げ、私は皐月のためにカッターナイフで鉛筆を削る。
「おかあさん、なにしてるの?」
「これはね、さっちゃんの気持ちがコハナちゃんによーく伝わりますように! っておまじない」
 コハナちゃんのことが大大大好きな皐月の想いが伝わりますようにという強い願いをこめて削った鉛筆で、皐月はどんなことを書きたいのだろうか?
 でも、手紙を書いたことがない皐月は、鉛筆を渡されて戸惑っているようだった。
「どうかしたの?」
「だって、あのコハナちゃんにおてがみだなんて……」
 よくよく聞くと、毎晩夢の中で会っているらしい。そういえば寝言でもよくコハナちゃんって言ってるわ。
「今さら恥ずかしくて何も伝えたくなくなっちゃった?」
 首をふるふる振った皐月はようやく鉛筆を手にする。



 コハナちゃんへ。

 きのうのばんごはんは、ピーマンごはんでした。

 さっちゃんより。



 自信満々に鉛筆を置いた皐月は誇らしげに「むふー」と鼻息も荒くしている。
 しかし、母からしてみると『これで大丈夫か?』という気持ちにならなくもない。
「さっちゃん、本当に他に伝えたいことはないの?」
「うん。なぜなら、だいじなことはゆめのなかでおつたえしていますもの」
 そう言って皐月は、オホホ、と笑った。どうやらこの小さい心の中では、かなり悲しみの作業は進んでいたらしい。

 私は皐月からそのお手紙を預かると、渡せなかったハンカチ共々クッキー缶に仕舞っておいた。
 いつか機会が訪れたら、このお手紙、コハナちゃんに届けてあげたい。
 届かない、なんて弱気でいちゃダメだ。

 そしてその転機は意外と早く訪れた。

 夕方、皐月と一緒にコナツの散歩に出かけたら、反対側から新たなパートナーをお迎えした白石さんに出会った。今回の盲導犬はラブラドールレトリバーの男の子。うちのコナツがキャンキャン吠えても微動だにしないのも頼もしい。
 何より、変にコハナちゃんに似てなくて良かった。
「さっちゃんがいない間にコハナちゃんを次のおうちに連れて行ってすまなかったね」
 一瞬皐月の顔色は曇ったけれど、小さく「うん」と頷いた。
「うちもコハナちゃんがいなくなって寂しくてね……お散歩リーダーたちもこれからは忙しくなって、お散歩に連れて出るのも難しいから、次のパートナーとして完全室内飼いのコタロウに来てもらったんだ」
 そこまで言って、「あぁ、そうだ」と白石さんは顔を綻ばせた。
「おじさん、今度コハナちゃんに会いに行くんだ」
 すると皐月は食い気味に「コハナちゃん!?」と叫んだ。
「さっちゃん、預かり物があれば持っていくよ」

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