『皆さんは人を見るとき一番最初にどこを見ますか?』
僧侶が語り始めた。
今日はお寺で説法の日だ。
若いのに渋い趣味を持っていると驚かれるのだが、
私にとってはサウナで整うのと同じようなもので、リフレッシュ&自分を見つめ直す時間になっていた。
以前一度だけ高校の友達を誘って連れていったのだが、
それ以来その話題は出ないところがそのまま友達の感想を物語っているように思えた。
以来、この時間は誰にも邪魔されない私だけの時間となった。
僧侶は続けた。
余談だが、この僧侶は四国巡礼したことがあるという。
いわゆるお遍路さんだ。
『人を見るときまず目を見る人は多いと思います。』
『何故でしょうか?』
『目を見ればその人の人となりがわかるからでしょうか?』
『ですが、目を見るのはあまりおすすめしません。』
『なぜなら、目は偽ることができるからです。』
『目は口ほどに物を言う、とは言いますが、目は口ほどでしかないとも言えます。つまり、いくらでも嘘をつくことができるのです。』
『では、どこを見ればその人の人となりがわかるのでしょうか?』
『答えを言いましょう。』
『それは、相手の心の目を見るのです。』
『つまり、『心眼』とでも言いましょうか。』
心の目?そう言われても私はピンとこなかった。
一体どうやって心の目を見るというのだろう?
『心眼を見るのは簡単です。その人の全体を見ればよいのです。』
『どこか一部だけを見ようとするのではなく、ぼんやり全体を眺めるだけでいいのです。薄目で見てもいいくらいです。』
『そうすると、不思議とその人の持っている雰囲気がなんとなく浮かび上がってきます。』
『それは赤みがかっていたり、青かったり、あるいはふわふわしていたり、固かったり、強かったり、弱かったりするかもしれません。』
『それが、その人の心眼です。』
『その人本来の姿と言ってもいいかもしれません。』
『目を見るより、より深くその人を見ることができるでしょう。』
ようは心眼とは形あるものではなく、なんとなく感じ取れるその人の雰囲気のようなもの、ということだろうか。
私は試しにそのお坊さんの心眼を見てみようとした。
えーと、どうするんだっけ?
あ、そっか、薄目、薄目、、
私は目を細めた。
きっと私は今、慈愛に満ちた仏のような目をしていることだろう。
そうすると、なんとなくお坊さんの持っている雰囲気のようなものが見えて来た気がした。
そして、なぜか四国巡礼のお遍路さんの姿が思い浮かんだ。
そうか、きっとその時の経験がこのお坊さんの雰囲気を作っているのだろうと思った。
なるほど、これは面白い。
人を見る目を養えるかもしれない。
そして、ふと思った。
私ってどんな心眼をしているんだろう。
自分自身の心眼を見ることはできるのだろうか?
私は鏡を取り出し、自分を見てみた。
自分の心眼を見ようと試みた。
えーと、薄目、薄目、、
仏のような目をしていた。
こうして見ると穏やかそうな目をしているじゃないか、私。
悪くない。
ああ、世界中の人たちがこんな目で暮らせたらいいのにな…。
争い事や、傷つけ合うことなく、こんな目で…。
仏のような目をしながらそんなことを思った。
たかだか、まだ十数年しか生きていないこんな小娘が思うのもおこがましいのだが。
肝心の私の心眼は、まだあやふやでよくわからなかった。
まだ未完成な私の心眼。
私はどうありたいのだろう?
こうありたいと思う姿を思い描いた。
自分のありのままで…なおかつ穏やかに、澄み渡り…。
山の奥深くの水流のように、透き通った…。
いつか、そんな心眼を持てるようになりたいと、
今はまだ仏の目をしながら思ったのだった。
『澄んだ瞳』 完
『人生、良いときもあれば、悪いときもあるさ』
『たとえぐちゃぐちゃになっても、腐っても、開き直っても、なにがあってもいいのさ』
『どんな君でもいいのさ』
『どんなことになっても、なにがあっても、最後には君は君なんだから、それでいいのさ』
『かつてそちらの世界にいて、今はこちらの世界に来た人たちもそう言っているよ』
そう近未来ロボットアニメイションの銀髪の彼に似た彼は言った。
それを聞いて私は、有象無象で、有相無相の一つである私は、
このだだっ広い世界で、くだらない世界で、
今を生きようと思ったのだ。
そういえば夏はもう始まっていた。
外では蝉の声が聞こえていた。
『嵐が来ようとも』 完
お祭り
書きたいのに心身しんどくて、
色々立て込んでいて19時までに書く自信がない。
あとで書けたら書くのでとりあえず保存。
誰かのためになるならば
「君たちは『鳥カゴ理論』を知っているかな?」
授業中、映画「ペイフォワード」に出てくるケビン・スペイシー似の数学教師が急に話し始めた。
「なあに、簡単な理論でね。」
「鳥カゴは一見 檻に囲まれているように見えるが、そこにはちゃんと出入口がある。」
「その出入口は開いていると思うかい?閉じていると思うかい?どっちだろう?」
「確認しなくても知る方法があるんだ。」
「それは、『開いていると思えば開いているし、閉じていると思えば閉じている』だ。」
「つまり君たちがどう思うかによって決まるということだ。」
「これが『鳥カゴ理論』というわけだね。」
そんな理論は聞いたこともなかったが、私はとにかく眠かったのでどうでもよかった。
「つまり、思いが現実を作っているということですね?」
急に理論を理解しようとする者があらわれた。
学年一番の浅野学秀だった。
暗殺教室の浅野学秀と同じ名前の彼は、メガネをかけていることを除けば、見た目から頭脳までほぼ浅野学秀にそっくりだった。
さすが学年一番。
何にでも興味を示すその好奇心、理解力、共に秀でているというわけか。
ケビン・スペイシーは続けた。
「そうだ。思いは思いのほか現実に影響を及ぼすというわけだね。」
「じゃあ、金メダルを取ろうと思えば取れるわけですか?」
また理論を理解しようとする者が現れた。
バスケ部の通称ゴリだった。
「そうだね。取れると思ったら取れる。取れないと思ったら取れないかもしれない。」
「それが『鳥カゴ理論』だからね。」
キーンコーンカーンコーン
授業の終わりを知らせる鐘が鳴った。
私はとりあえず眠たいと思っているから夜は寝れそうだと思った。
『鳥かご』 完