男が忘れていった水晶のキーホルダーは、今も洗面台の上に置きっぱなしにしてある。連絡したら、「捨てていい」とだけ返ってきて、もうこの人とやりとりする必要はないのだと悟った。
職場で倒れてからそのまま仕事をやめ、逃げるように男との同棲をはじめて、私にはもう何も残っていなかった。埃のつもった多肉植物、冷蔵庫で腐った茄子、消費期限の切れた牛乳。そういった惨めさの中にあって、私ははじめて、ただ生きることに執着してればいいのだと、ある日そう思えた。
それからときどき、捨てられなかった水晶を、窓から差し込む光に透かしてみたりなんかする。
アクリルでできた安っぽいそのきらめきが、何もかもどっちつかずで不安定な私を鮮やかに刺す。
腐ったものたちに囲まれて、泣きわめいたり、落ち込んだり。私は最初から、この薄ら透明な世界の向こう側に、ただ息をしているだけ。
こんな刹那のきらめきが、今を生きようと思えるのに充分足り得る理由になることだってあるのかもしれない。奇妙なことだけれど。
しなやかに僕を抱く彼の手が嫌いだ。
彼のその白い指先は欠けている。断面には塞がったような跡があるから、後天的に傷ついたものなんだろうとは思う。理由を聞いたことはない。
ほっそりと薄い、ユリの花びらみたいな手のひらが僕の頬を包もうとするとき、嫌でも欠けた指先を感じざるをえない。月はいくらから欠けているほうが風情があると千年前の人間はいったが、僕は彼の手を愛せなかった。
「優しいやつだ」といわれ生きてきて、誰もを平等に愛そうとする心に人の生きる価値があるのだと母から教わった。あなたは優しい。純粋で優しすぎるその心が心配だと、婚約者に言われたこともある。
だから、たかが指先の1本欠けた手に、こんなにも激しい感情を抱かされる自分自身に戸惑い、ただ恐れていただけなのかもしれない。
そして今夜も、人差し指の欠けたそれが僕のほうにのびる。僕は魔物から逃れるように払いのけた。生々しいその断面は、いつか僕を呑み込んでしまうだろう。
「恐ろしそうだ。」
彼の蒼白い顔がかなしげに綻ぶ。しかしその手をおろすことはない。
「かといって義指をつけたら、君はもう僕に執着してくれないんだろう?」
逃げたくても逃げられないのはどちらなのかと、彼の唇が動いた気がした。淡い月夜に世界は落ちている。この薄明かりが、いとしい婚約者の不安を背にして、彼と逢瀬する僕の醜さを透かし出してしまう。
「君も不完全だよ。綺麗だ。」
彼はサモトラケのニケでも、ミロのヴィーナスでもない。美術品として以外では、どこか欠けているものを愛することはできない。拒み続ける僕の心に、失われた白い指先は妖しくほのめき、離さない。
わたしは「そらちゃん」と呼ばれる。
良い空と書いて空良という名前なのに、いつも大雨や雷を起こして、なごやかな周囲の空気を曇天に変えてしまう。わかっているのに、小さい頃からそうだった。
わたしの癇癪がはじまりそうになると「今日の空模様も怪しいな」と、家族は少しおどける。空模様という言葉がいい意味で使われている場面なんてない気がする。だいたいが、さっきまで晴れていたのに崩れてきそうな空をさしているのだ。
わたしは、わたしの気分が崩れかけてきたら物陰に引っ込む。どこにいても、できるだけ空気とか石ころとかになりすまそうとする。めぐりめくる空模様はわたしのなかにしまいこむのだ。そうすれば誰も傷つけることはないし、わたしも傷つかない。
そして、今日もダメだった。せっかくの誕生日パーティーだったのに、急に大泣きをしたくなってしまって、わたしはやっぱりベランダの隅に逃げるようにうずくまる。いつもこうだ。たぶん、これから先も。曇天、雷、大嵐。
「そらちゃん」とわたしを呼ぶ声がして、顔をあげるとお母さんがいた。わたしが生まれてきてから
今日まで、恐らくいちばん傷つけてしまっている人。
お母さんの手には薄いアルバムがあった。
昔火事にあってほとんど残っていないんだけれど、おばあちゃんの部屋にこれだけあったの。
これはそらちゃんのアルバムよ、と。
それには、あまりみたことのない、幼いわたしの姿がおさめられていた。仏頂面で激しく泣きじゃくっているかと思えば、次の瞬間には弾ける笑顔。写真の下には、懐かしいおばあちゃんの字がある。
空良ちゃん そらいろ空模様
「似た者同士だったわよね、ふたり。」
どんな空模様でも良い空、あなたでいいんだよと。夜の月が眩しく感じる。明るい星空にそのとき気づいた。
この名前は、おばあちゃんがつけてけれたものだったと思い出した。
潮の引いた浜辺を歩いていたら、なめらかな砂に白く光る欠片が埋もっているのをみつけた。拾い上げるとそれは薄く光を吸い込んで、桃色の朝焼けに照り映えているみたいだった。
ナルキッソスの鏡だな、と君がいう。
僕は適当に笑った。なんでこれをみてナルキッソスが出てくるのかよくわからなかったから。貝殻の破片にも、薄く削がれたガラスにもみえるこの欠片が不思議だった。
昔から美しいものに吸い寄せられていく君だ。
そっと僕の手のひらから欠片をすくいとり、しばらく丹念に見つめている。その小さくきらめくものから、自己陶酔に溺れ死んだ人間の姿を見いだそうとでもしているんだろうか。僕は少し危うげな気持ちになりながら、恐ろしく端正な君の横顔に視線を送る。
そのとき、君がふいに顔をあげる。遠くの波のゆらめきに、花束が漂っていた。
「誰か死んだんだろうか。」
君があまりに自然に呟いて、僕も思わず頷いた。
青い水仙の束だった。胞子のような泡の粒に呑まれながら、それはどこか切なげに、冷たい海水に漂いつづけている。
幼い頃は、太陽を描くのに赤いクレヨンを使った。
それから光を気にしだして、黄色く塗りあげるようになった。ときどきオレンジ色にもした。でも太陽にはならなかった。
光の芸術家とは太陽のことだ。朝から夜へと移ろいゆく光。空という大きなキャンパスに、決して人の手では触れえない色を描き出すのだから。私はその太陽を、もっと正確に紙に起こしたかったのに。
負けず嫌いで、天の邪鬼だった私は、ある日太陽を黒く塗りつぶしてみた。太陽をじっとみていると、その強い光がだんだん黒くぼやけてくるから。描いてみたそれは、案外良いできに思えた。
さっそく母に見せたが、まともに取り合ってくれない。父は「良い感性だ」と笑う。私が欲しい反応じゃない。
もううまく喋れなくなってきた祖父にみせると、
しばらく眺めて、それから「ビルマの太陽だ」と、ぽつりと呟いた。
そのとき私は外国というものがよくわからないでいて、「ビルマというところの太陽は黒いんだな」というくらいにしか思わなかった。
間もなくして祖父が亡くなったあと、祖父は第二次世界対戦時ビルマの兵士で、仲間の過半数が餓死をしたという無謀な作戦の、数少ない生き残りだったということを祖母が話してくれた。気難しい祖父の口からは1度も聞いたことのない過去の話だった。
泥水をすすり枯れた草を食べ、痩せた子馬や仔牛をなぶり殺してでも、祖父は黒い炎天下を生きのびたのだと、今ならわかる。
でも、自分が気まぐれに生み出してしまった黒い
太陽がひどく苦しいものにみえて、そのとき私は少し後悔した。
私が得意気に描いた黒い太陽を見て、祖父はどんな顔をしていたのか。今もわからない。