遠くの街へ逃げたい
周りは何もいい
自分勝手と
相手のことを考えない
自己中心的な塊
あの人達のいない遠くの街へ
いますぐに
この身を投じて
どこかへ
「次、いつ会える?」
幼馴染に連絡してみた。
「分からないけど、必ず」
この不透明感がやけに落ち着く。
「今何してる?」
「別の仕事で遠くにいる」
絶妙な、この噛み合い具合が幼馴染とは、ちょうどいい。
「言葉の空」
「みなさんも空を見上げてみてはいかがでしょうか」
日課である天気情報番組を観るたびにキャスターが言う、何気ない一言。気象情報を観るのは好きなのだが、このキャスターの言葉だけは、毎回不安な気持ちにさせられる。
去年の冬、私は"普通の人間"じゃないことを知ってしまった。誰かと一緒に行動したり、作業したりするのが極度に苦手だと。その日から、空を見上げるたびに、自分が普通じゃないことを思い知らされているようで、どうも気持ちが悪い。晴れていれば、「現実を突きつけている」ように、雨が降れば、「低気圧の重たい空気を押しつけられている」ように。他の天気で、気持ちの良い天気だと感じたのは、最近は無い。もう、空を見上げることすら、無くなってしまった。世間は「晴れるといいことがある気がする」とか、「雨が降ったら、気持ちが沈む」とか、色々感情に結びつけるようだが、私にとっては、晴れだろうが雨が降ろうが、「物憂い空」なのは変わらないのだ。
睡眠障害という、新たな厄介者を飼ってしまってからは、「現実を突きつけていた」晴れが、「頭を刺すような、罰」として見えてしまっている。
日課の気象情報は観るのが好きだから、辞められないが、もうあの言葉は聞きたくないから、天気図を観て、スマホの電源を切る、という行動に変わるのは、遠い話では無くなりそうだ。
"Love you"なんて気持ちはわからないけど、きっと、幸せな感情なんだなって思う。"好き"も"大好き"もかたちがないせいで、基準も誰も知らないし、誰も知ろうとしない。ただ一つ分かるのは、人が大切にしている感情の一つなんだってこと。
まぁ、likeやLoveと書いたところで、好きの定義を知ろうとしたところで、私は野暮なのかもしれないけれど。恋愛も何も分からないから、ちょっと背伸びして、"それっぽい定義"を書いてみたかっただけ。
『太陽と石ころ』
太陽のような人になりたかった
ひび割れたところに
塩が塗り込まれていく
"誰かだけの正しい"が
合いもしない傷に
すりこまれていく
太陽なら
明るく
その傷さえも
その人なりに
消化できたのかな
でも
私はそんなに強くない
月どころか
光る資格すらもらえない
ただの石ころ
太陽なんかにあたってしまえば
一瞬で
焼き尽くされちゃう
太陽まではいかなくても
せめて
傷を消化できて
誰かの塩も
すりこまずに
溶かしちゃうくらいの人に
なりたかったな