「ずっと隣で笑ってて」
君はそう言ってくれたけど
僕はもう 笑えないんだ
感情を失い
声も出なくなった
笑うことはできないけれど
せめて
君の隣にいるだけの資格を
僕にくれないかな
「ひなまつりは女の子のお祝いだよ」
元保育士の親からそんな風に教わってきた。
雛人形も、三人官女までの小規模なものだったけど、ちゃんと飾ってた。生物上、私は女性として育てられており、兄も弟もいない家のため、ひなまつりがやけに重宝された。
しかし、今、私は"自分の性別"が分からない。女性なのか、男性なのか。自認する性別と生物上の性が噛み合わないのだ。それがなんとなく分かってから、家でひなまつりをやらなくなった。親に言ったわけじゃない。単純に、雛人形を置いていた棚に、「推し活」を始めたからだ。
「もう、人形置かないよ?ぬいぐるみとかよけて、出すの、時間かかるから」
と、親がかつて置いていた棚を見て、やめたからだ。
性の多様性だとか、叫ばれていく中、一番最初に消えていく文化はこういう、性別を重んじた文化なのだと、ふと思った。
遠くの街へ逃げたい
周りは何もいい
自分勝手と
相手のことを考えない
自己中心的な塊
あの人達のいない遠くの街へ
いますぐに
この身を投じて
どこかへ
「次、いつ会える?」
幼馴染に連絡してみた。
「分からないけど、必ず」
この不透明感がやけに落ち着く。
「今何してる?」
「別の仕事で遠くにいる」
絶妙な、この噛み合い具合が幼馴染とは、ちょうどいい。
「言葉の空」
「みなさんも空を見上げてみてはいかがでしょうか」
日課である天気情報番組を観るたびにキャスターが言う、何気ない一言。気象情報を観るのは好きなのだが、このキャスターの言葉だけは、毎回不安な気持ちにさせられる。
去年の冬、私は"普通の人間"じゃないことを知ってしまった。誰かと一緒に行動したり、作業したりするのが極度に苦手だと。その日から、空を見上げるたびに、自分が普通じゃないことを思い知らされているようで、どうも気持ちが悪い。晴れていれば、「現実を突きつけている」ように、雨が降れば、「低気圧の重たい空気を押しつけられている」ように。他の天気で、気持ちの良い天気だと感じたのは、最近は無い。もう、空を見上げることすら、無くなってしまった。世間は「晴れるといいことがある気がする」とか、「雨が降ったら、気持ちが沈む」とか、色々感情に結びつけるようだが、私にとっては、晴れだろうが雨が降ろうが、「物憂い空」なのは変わらないのだ。
睡眠障害という、新たな厄介者を飼ってしまってからは、「現実を突きつけていた」晴れが、「頭を刺すような、罰」として見えてしまっている。
日課の気象情報は観るのが好きだから、辞められないが、もうあの言葉は聞きたくないから、天気図を観て、スマホの電源を切る、という行動に変わるのは、遠い話では無くなりそうだ。